2026.07.09
最終更新日:2026.07.09

居ても立っても三色丼【稲田俊輔のうまいものだらけ|第14回】

博覧強記の料理人・稲田俊輔が、誰もが食べることができながら真の魅力に気づけていない、「どこにでもある美味」を語り尽くす。

第14回|居ても立っても三色丼

三色丼、ご存じですよね。典型的なスタイルとしては、鶏そぼろ、炒り卵、そして刻んだ絹さや、といったところでしょうか。日本人なら、食べたことのない人はまずいないんじゃないかと思います。しかし「大好きでしょっちゅう食べてる!」と目を輝かせる人も、これまたほとんどいないような気がします。

かつ丼、ございますよね。……今この「かつ丼」という文字列に思わず反応してしまった人は正直に手を挙げてください。僕の予想では読者の20%くらいが該当するのではないかと思います。特に今この瞬間腹ペコの人々を母数とするなら、どうかすると50%を超えるかもしれません。この先を読むのもやめて、いそいそとかつ丼を食べに行く準備を始めた人もきっといることでしょう。

ではそんな腹ペコ諸氏に問います。さっき「三色丼」という文字列を目にした時はどうでしたか? 特に何も起こらなかったのではないですか?

「ふーん、言われてみればそんなものもあったな。そういえばもう10年以上食べてないな」

せいぜいそんなところだったのではないでしょうか。

御社の社食を思い浮かべてみてください。もし本日の日替わり丼が「マーボー丼」だったら、きっと心の中で「よっしゃああ」とガッツポーズを決めますね。そしていそいそと、いつもより少し長いその列に並びます。

ではそれが「三色丼」だったら? 仕事に追われて昼休みを早めに切り上げねばならない忙しい人々が、「列もあんまり無いし手っ取り早く食べられそうだな」と、半ば諦め顔で丼コーナーに向かいます。

かつ丼にせよマーボー丼にせよ、丼というものは、食べたくなったら居ても立っても居られなくなるものです。もちろん鰻丼もそうです。しかし鰻丼の場合は、居ても立っても居られないんだけど懐事情がそれに追いつかない……現実的には、そんなことの方が多いわけです。人々は鰻丼のために、これまでどれだけの悔し涙を流してきたことでしょうか。翻って、三色丼のために泣いてくれる人、いますか?

悔し涙こそ流すことはないかもしれませんが、牛丼なんてのも案外、居ても立っても居られなくなります。特に夜中に顕著です。そして幾許かの罪悪感と共にかき込む、夜中の牛丼のうまさたるや。

ただしチェーン店の牛丼は、案外あっさりとしてヘルシーな味わいでもあります。そのことに改めて気づき、罪悪感は少しだけ解消されます。しかしそこでふと、学生時代に通った定食屋さんの、がっつりと濃い味が染み込んだ「焼肉丼」や「スタミナ丼」のことを思い出します。やっぱり居ても立っても居られなくなって、次の休日、青春のほろ苦い思い出がいっぱい詰まったあの街へ、久しぶりに出かけてみたりもするのです。

いかがでしょうか。三色丼という丼の特異性が、なんとなくお分かりいただけたことでしょう。三色丼とは、決して居ても立っても居られなくなることのない、極めて稀有な丼なのです。

とは言え世の中にはいろいろな人がいますから、もしかしたらどこかに「いや、俺は三色丼が食べたくなると居ても立っても居られなくなるんだが」という人もいるかもしれません。いや、いても決しておかしくはないんですけど、僕はそういう人がもしいたら、かわいそうだな、とは思います。なぜならば、居ても立っても居られなくなったとしても、その思いを叶えてくれる店はほぼ皆無に等しいからです。

……そろそろ真実を明かさねばなりますまい。その三色丼を食べたくて居ても立っても居られなくなったのは、何を隠そうこの僕です。

こんなことになるとは思ってもいませんでした。僕だってつい最近までは、三色丼に心奪われたことなんて人生で一度もありませんでした。10年以上食べていないどころか、最後に食べたのはたぶん子どもの頃です。

それがこんなことになってしまったきっかけは、「三色丼が好きで好きでたまらない」と断言する、世にも稀な人物とたまたま出会ってしまったからです。その時から僕は、じゃあ自分にとって理想の三色丼があるとするならばそれはいかなるものなのか、ということが頭を離れなくなってしまったのです。メニューとして出してくれる店が思いあたらない以上、それは自分で作るしかありません。

しばらく後に、その理想の三色丼は完成しました。三色の面積比率はかなり重要ですが、僕が辿り着いた結論は、茶と黄と緑が5:4:3です。これはイメージするとお分かりかもしれませんが、丼のような円形に配置するのはあまり美しくありません。なのでこれは丼ではなく鰻重のようなお重が必要だと考えて、アマゾンでわざわざ買いました。また緑部分は、あえて定番の絹さやではなく、その時ちょうど時期だった菜の花を刻んで辛子和えにしてのせました。

三色丼に菜の花は、控えめに言っても最高でした。今年はもう時期が終わってしまいましたが、皆さんこのことは覚えておいて、来年時期になったらぜひ作ってみてください。

……と言いたいところではありますが、絶対みんなあと一ヶ月もしない内に、三色丼のことなど綺麗さっぱり忘れていることでしょう。

三色丼とはそういう存在です。

居ても立っても三色丼 イラスト
絵・吉田戦車
稲田俊輔

料理人・文筆家。「エリックサウス」総料理長を務めながら、さまざまな食エッセイを執筆。近著に『食の本 ある料理人の読書録』『東西の味』(ともに集英社)などがある。

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