スポーツシューズの画期的な発明はラボだけにあらず、というユニークな企業精神を植えつけたNIKE最初期のランニングシューズ。この試作品はのちに進化し、オレゴンワッフル、ワッフルトレーナーとしてDNAが継承された。4月末にリリースされた初の復刻モデルはウィメンズ仕様。写真のシンプルなカラーはemmiのみで発売された。/私物
NIKEが創業すぐに急成長できた理由は?
世界的なスポーツメーカーはいろいろありますが、中でも後発なのが実はNIKEです。創業は1972年。つまり僕と6歳しか変わらない。ファッション物心がついてNIKEを初めて知った小学6年生の頃でも、まだ10代後半の若いブランドでした。それこそ今のOnとかくらい。その歴史感にして子どもたちの憧れに上り詰めたブランドって、あらためて考えるとすごいことだな、って思います。
なぜそんなに短期間で成長できたのか。それは豊富な創業初期のエピソードに凝縮されています。常にNIKEは、思いもよらないひらめきがものづくりのスタートでした。1971年のある朝、共同設立者の一人である陸上コーチのビル・バウワーマンが妻のバーバラが朝食で使ったワッフルメーカーを見て新しいソールを思いついた、というのは有名な話。最初は失敗したらしいのですが、何回かやっているうちに試作シューズが出来上がり、教え子にテストさせるうちに「ワッフルソール」が完成したのが誕生秘話です。
翌年にワッフルソールを使った初の製品がMOON SHOEという名前で登場しました。ワッフルソールの跡が月面着陸をした宇宙飛行士の足跡に似ていたのが理由だそう。これはミュンヘンオリンピックの代表選手のために作った10足程度の生産数で、そのうちの未使用の一足が2019年にオークションにかけられ、43万7500ドルで落札されたのがニュースになりました。失敗と試作の痕跡は稀少すぎて、ヴィンテージどころか国宝になってしまった。靴一足にキャラクター性が強くて、物語が豊富。「スニーカー好き=NIKE好き」といわれる所以は、こういう物語にあるんだと思います。台所のアイデアから生まれたシューズが、半世紀を経ても語り継がれるって、もう単なるメーカーの域ではないですね。
そんなMOON SHOEが先日復刻されました。オリジナルを生で見たことがないので再現性のよしあしは判断できませんが、黎明期のデザインらしく、とにかく質素。世間的には薄底の人気の流れから甦ったアーカイブの一つに扱われがちですが、スニーカー好き、NIKE好きには50年越しに作られた、本当の意味での量産品という大ニュースです。ジャックムスとのコラボレーションの関係でウィメンズ向けのスニーカーとして発売されたけど、ジェンダーを限定する靴であるべきではないはず。もちろん、レディスのほうが合わせやすい華奢なフォルムだけど、思いもよらないスタイリングがひらめいてほしいものです。
ナイロンは光沢があり、スウッシュの革やスエードはきめ細か。もっと素材にメンズ的なヴィンテージ感を強調するとよかったと思うけど、履きつぶせばいい雰囲気が出そうな気もします。NIKEの靴ってガツガツ履き込むイメージはないけれど、ワッフルソールの機能性に世の中が時間をかけて気づいて、ビッグブランドに化けたように、MOON SHOE自体も味わいながら魅力を知っていくくらいでいい。ゆっくり育ててみたいです。
「足元ばかり見ていては欲しい靴は見えてこない」が信条。近著に『1995年のエア マックス』(中央公論新書)。スニーカーサイズは28.5㎝。