2026.10.19
最終更新日:2026.10.19

『仕事と日』|最古のビジネス書が語る持続する富の条件【仕事は泥臭い 働く野郎どもの本棚|千野帽子】

本

『仕事と日』

『仕事と日』

最古のビジネス書が語る
持続する富の条件

ビジネス書の起源はどこだろう。紀元前700年のギリシアに、驚くほど現代的な一冊が存在する。

古代ギリシアの詩人ヘシオドスが弟ペルセスに語りかける。キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(新潮社)と同型だ。経験を積んだ年長者が、世間知らずの若者に向けて、労働・金銭・人間関係の要諦を説く。この兄弟には遺産をめぐる実際の確執が背景にある。贈賄によって不当な財産を得た弟への、怒りを含んだ訓戒。本書『仕事と日』の説教には処世訓を超えた緊張感が宿っている。

内容の核心は「正しい労働だけが持続的な富を生む」。プロメテウスが火を盗み、ゼウスが怒ってパンドラを遣わした。以来、人間は労苦なしに生きられない。労働は呪いではなく与えられた条件だということだ。条件を嘆くより、最善を尽くせ。ストア的経営哲学とも響き合う。

「エリス(争い)」に二種あると述べる。他者を傷つける破壊的競争と、隣人の繁栄に刺戟されて自分も働く生産的競争だ。「陶工は陶工を妬み、職人は職人を妬む」。競争が市場のエネルギー源であるという認識は、マイケル・E・ポーターの『競争戦略論』(ダイヤモンド社)を思わせる。

農事暦の部分には、リスク管理の視点もあった。播種・収穫・航海、それぞれの適切な時機が星の動きと結びつけて説かれる。「春の航海は危険だが、貧しい者はそれでも海に出る」という記述は、資金繰りに追われた経営者が無理なタイミングで勝負に出る姿と重なる。航海はそもそも事業投資だった。

ウォードと違うのは成功の動機づけ。ウォードの「父」は息子の成長を願う。いっぽうヘシオドスの動機は神罰への恐怖。「越権はゼウスの罰を招く」。現代語に訳すと「過剰拡張は市場の罰を招く」となるが、原文の含意は重い。分を守るのは選択ではなく義務だ。

自分たちの時代を「鉄の時代」と呼んだヘシオドスは「いかに破綻を避けるか」を問う。黄金時代ならぬ鉄の時代に生きる者には、成長論より持続論のほうが切実だった。

『仕事と日』

ヘーシオドス著 松平千秋訳
岩波書店 ¥880

作者は紀元前700年ごろのギリシアの叙事詩人。作品には他に『神統記』(岩波書店)。訳者は1915年岐阜県生まれ。京都帝大文学部文学科言語学専攻卒業、同大学大学院修了。京大、光華女子大、京都産業大で教鞭を執る。クセノポン『アナバシス』翻訳で読売文学賞、他に勲二等旭日重光章、ギリシア政府フェニックス十字勲章。著書『ホメロスとヘロドトス』(筑摩書房)、訳書多数。2006年没。

千野帽子

文筆家、俳人。パリ第4大学博士課程修了。『青ひげ夫人と秘密の部屋』(光文社)で日本推理作家協会賞受賞。著書に『人はなぜ物語を求めるのか』(筑摩書房)など。訳書にトマス・パヴェル『小説列伝』(水声社)。

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