『アレグリアとは仕事はできない』
効率だけが正しい社会の中で
最適解からズレるのはだれ?
表題作は地質調査会社を舞台に、コピー機の不具合という地味でリアルなできごとを軸に展開します。
新型機への切り替えをめぐる混乱、責任の所在の曖昧さ、上司と部下の力関係。みな「自分の仕事の範囲」を守ろうとし、組織は円滑に回ってるっぽい。でも内側では、押しつけ合いと忖度が渦巻いてました。そこにいるコピー・スキャン・プリント複合機アレグリアは、周囲から「仕事ができない」と見なされる存在。要領が悪いのか意地が悪いのか、肝心のときに不具合が発生、仕事の進行を止めてしまう。でもその存在は、単なるダメ機械として処理しきれない違和感を残す。この違和感が、やがてミステリ小説ふうの意外な結末につながります。
故障すれば業務は滞り、修理や買い替えの判断が迫られます。でもだれも決断を引き受けたがらない。アレグリアの不具合に手を焼くとき、社員は、合理的に動くはずの組織にじつは責任の空白があることを思い知らされるのです。
彼女(アレグリアはラテン系諸語で喜びや快活さを意味する女性名詞)の「できなさ」は、職場においてはあきらかに欠陥です。日常にAIが浸透、しかもペーパーレス傾向でコピーのプレゼンスが減った現在、この構図は反転しつつあります。
議事録も分析も最適化もAIが瞬時にこなすとき、人間はますます判断を迷わない機能として振る舞うことを求められています。正確で速く、感情を挟まないことが、「できる」の基準になりました。だとすれば、迷い、空気を乱し、立ち止まる人間は、かつてのアレグリアのように周縁へ追いやられるのでは。
僕たち自身が「アレグリア化」する可能性もあります。AIが提示する最適解への違和感をうまく言語化できず、場の進行を止め、効率の流れに抗してしまう存在として。人間はシステムの補助輪になるのか、邪魔なお荷物になるのか、問いを発するノイズになるのか。アレグリアの「できなさ」は、AIと暮らす人間のありようを先取りしていたのかもしれません。
『アレグリアとは仕事はできない』
津村記久子著
筑摩書房 ¥638
著者は1978年大阪府生まれ。大谷大学文学部国際文化学科卒業後、会社員に。「マンイーター」(改題後『きみは永遠にそいつらより若い』、ちくま文庫)で太宰治賞、『ポトスライムの舟』(講談社文庫)で芥川賞、本書で酒飲み書店員大賞、『ディス・イズ・ザ・デイ』(朝日文庫)でサッカー本大賞、『ワーカーズ・ダイジェスト』(集英社文庫)で織田作之助賞、『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)で谷崎潤一郎賞など受賞多数。
文筆家、俳人。パリ第4大学博士課程修了。著書に『青ひげ夫人と秘密の部屋』(光文社)、『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書)など。訳書にトマス・パヴェル『小説列伝』(水声社)。