『多忙感』
「締切に追われる」から
「締切に向かって進む」へ
ずっと忙しい。いや、正確には「忙しい感覚」に苛まれています。
以前、仕事で脳神経科学の論文や初期仏典を読んでいました。脳のエネルギー消費のメカニズムも、注意散漫が判断力を蝕むプロセスも、頭では理解していました。仏典には、心を外の刺激に委ねることの危うさが、驚くほど現代的な言葉で記されていました。知識として、僕はたしかに「知っていた」のです。
それがいつの間にか、すっかり消えていました。気づけば朝起きるなり反射的にスマホを開き、返信したメールを数秒後にまた確認しています。タスクを片づけても達成感はなく、休んでいても罪悪感がある。頭のなかではたえずなにかが渦巻いていて、静かな時間がかえって不安です。
『多忙感』を読んで、その忘れていた記憶が少しずつ戻ってきました。
問題の捉えかたが僕には新鮮でした。仕事の締切が近づくと、人は「締切に追われている」感覚と「締切に向かって自分で進んでいる」感覚のどちらかを持ちます。前者は多忙感を生み、後者は集中力と充実感をもたらす。自分が主体的に動いていると感じるマインドセットで、時間の質は変わるというわけです。
提案されている実践はシンプル。朝起きたらスマホを見る前に、「きょうまずなにをするか」をひとつ決める。メールに返信したらすぐ閉じる。「そんなことか」というようなことが、なるほど、できていなかった。
知識と習慣の溝は、思っていたより深かった。脳神経科学のデータを「知っていた」僕が、脳神経科学の説明どおりに消耗しているんですから。
救いは、忘れていたことは思い出せるということ。とりあえずスマホの目覚ましを別の時計に替えてみよう。なにかが変わるかはわからないけど、かつて論文や仏典から学んだことを、もう一度自分の生活で試してみる時なのかもしれません。
締切のあるタスクをひとつ選び、「追っ手」ではなく「ターゲット」として捉え直し、意識的に「向かっていく」感じで、まず書いてみたのが本稿です。
『多忙感』
菅原洋平著
サンマーク出版 ¥1,540
著者は1978年青森県生まれ。国際医療福祉大学を卒業後、作業療法士として国立病院機構で脳のリハビリテーションに従事したのち、東京都内のクリニックで睡眠外来を担当。ユークロニア株式会社代表。著書に『あなたの人生を変える睡眠の法則2.0』(自由国民社)、『すぐやる! 「行動力」を高める〝科学的な〟方法』(文響社)、『ほら、できた! できなかったことができるようになる えほん』(えほんの杜)など。
文筆家、俳人。パリ第4大学博士課程修了。著書に『青ひげ夫人と秘密の部屋』(光文社)、『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書)など。訳書にトマス・パヴェル『小説列伝』(水声社)。