『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』|’80年代ブレイク組の明るさと軽さが全開。巨匠クローネンバーグの理想的な老境【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】
現在公開中の映画を読み解く連載「売れている映画は面白いのか?」。今回取り上げるのは、鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督の真骨頂であるボディホラーに原点回帰した『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』。

『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』|’80年代ブレイク組の明るさと軽さが全開。巨匠クローネンバーグの理想的な老境【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】
現在公開中の映画を読み解く連載「売れている映画は面白いのか?」。今回取り上げるのは、鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督の真骨頂であるボディホラーに原点回帰した『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』。
『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』
監督・脚本/デヴィッド・クローネンバーグ
出演/ヴィゴ・モーテンセン、レア・セドゥ、クリステン・スチュワート
新宿バルト9ほか全国公開中
© Serendipity Point Films 2021

常に賛否両論を巻き起こすデヴィッド・クローネンバーグ監督が念願の企画を実現。フィルム・ノワール風のタッチで、異様なパフォーマンスで注目を浴びるアーティストが、禁断の犯罪を「解明」していく様を描き出す。主演は監督とのコンビ作も多いヴィゴ・モーテンセン。ヒロインのレア・セドゥが妖艶な肢体を披露する場面もあり、最後の最後まで目が離せない。
’80年代ブレイク組の明るさと軽さが全開
巨匠クローネンバーグの理想的な老境
1980年代は、ちょっとクレイジーだったり多少グロかったりするのがオシャレという、今では考えられない価値観の時代でした。デヴィッド・クローネンバーグはそんな時代に『スキャナーズ』(’81)や『ビデオドローム』(’83)でブレイクした監督。デヴィッド・リンチもあの時代の代表格ですが、それとは別に当時世相を揺るがした『ブレードランナー』(’82/リドリー・スコット監督)という作品もありました。SFながら刑事が危険な世界に迷い込む。これが’80年代のマナーだった。好事家が喜ぶものではなく一般的な水準として、それがカッコよくトレンドになる時代でした。
’80年代の申し子であるクローネンバーグは、今やカンヌ国際映画祭で審査委員長を務めるほどの巨匠ですが、新作は「あの頃の彼が帰ってきた!」とファンがうれし泣きしそうな内容。舞台は近未来。主人公は自身の内臓にタトゥーを施すという特異なアーティスト。しかしこれは題名が示すとおり、犯罪SF。その点で『ブレードランナー』に近い。悪役に見えた人が犯罪を暴く構成などはよくできており、監督の成熟を感じさせます。’80年代的な題材に戻ってきたら、随分大人っぽくなっていた。原点回帰しつつ、同時に進化もしています。
しかし文学性も問題意識もまるでなく、やたらクリーチャーや機械と人間を合体させたがるフェティッシュな感覚は健在。「手術はセックス」なんていう臆面もない台詞も飛び出し、趣味性が全開。クリーチャーは手作り感満載で、DIY主義も横溢。テレビのコントのようなセットもいい意味でチープなままで、映画の規模を無駄に大きくしたくない意図は一目瞭然です。
思えばクローネンバーグはずっと無邪気なまま映画を撮ってきた人。リンチもやはりそう。彼らに比べると、その後のタランティーノやポール・トーマス・アンダーソンはかなり真面目で、そして暗い。ハイで安ピカな時代である’80年代ブレイク組は、クリエイターとしてどこまでも明るくて軽い。ネットの批評など意に介さない。いわばストレスフリーなのです。
晩節を汚す老人も多い中、80歳になったクローネンバーグはというと、元気いっぱいで変わらないまま。これは理想的な老境かも。まだまだ無邪気なまま撮りそうです。(談)
菊地成孔
音楽家、文筆家、音楽講師。最新情報は「ビュロー菊地チャンネル」にて。
ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi
売れている映画は面白いのか
SERIES
「売れている映画は面白いのか?」の記事一覧

『ドミノ』|『マトリックス』+スティーブン・キング? 続編が観たくなる異才の新境地【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家』|映画史を体現する伝説の監督ゴダール、その生涯を意外な軽さで描いた良作【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』|’80年代ブレイク組の明るさと軽さが全開。巨匠クローネンバーグの理想的な老境【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『小説家の映画』|特別な監督ホン・サンスによるアートとしてのプログラムピクチャー【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『アシスタント』|女性監督のルッキズムへの問題提起。正義の中にある偽善の可能性も示唆【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『TAR/ター』|真性の音楽映画から驚愕のスリラーへ。アートとエンタメを超える新時代映画!【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『ガール・ピクチャー』|普遍的なガールズ・ムービーの復活。あえて刺激抑えめな現代性を感じる【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『別れる決心』|還暦を前にした監督の「老境」を意識しすぎた恋愛ミステリー【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『モリコーネ 映画が恋した音楽家』|苦悩と葛藤。世界的映画音楽家が人生の大団円を迎えるまでを見つめる【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『フラッグ・デイ 父を想う日』|名優にして名監督。希少価値が高い男ショーン・ペンの最高傑作かも【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『アフター・ヤン』|持続的で多様性に満ちているが胸に迫らないもどかしさがある【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『七人樂隊』|穏健派のベテランたちが古き香港に思いを馳せる「出し殻」オムニバス【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『ブライアン・ウィルソン/約束の旅路』|音楽が与える感動の質が不変である稀有なミュージシャンの素顔【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『リコリス・ピザ』|陰鬱な天才監督の転向か? いい映画になぜかドキドキしてしまう【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『三姉妹』|定番の展開に新たな意外性を加えた韓流ならではのハイクオリティ家族劇【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『パリ13区』|深刻になりやすい時代だからこそパリのいまを軽やかに見つめる視点が冴える【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『アネット』|『ラ・ラ・ランド』『ボヘミアン・ラプソディ』の流れをくんだ作品だが【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『クライ・マッチョ』老境に入った監督の静かな映画? いえまさかのアンチエイジング作品です【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』夢のようなラストに向かって緻密に進む痛快この上ない破格のドキュメンタリー【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『モーリタニアン 黒塗りの記録』ジョディ・フォスターは素晴らしい! が、この題材は映画に向いていたのか?【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『スターダスト』デヴィッド・ボウイ前夜を描いた、真摯で誠実、しかし薄味すぎる作品【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

『サマー・オブ・ソウル』ウッドストックの傍らで開催された幻の黒人音楽フェスが語りかけること【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】
KEYWORD