ポルシェ912は、911のボディに先代である356SC用の1.6ℓ水平対向4気筒エンジンを搭載し、1965年にデビューした。最高出力は90馬力、970kgのボディを軽快に走らせる。当時のカタログによれば、最高速度は185km/hをマーク。66年にはルーフが着脱できるタルガも登場したが、69年に生産が終了した。


水冷の911を楽しんでから912に乗り換えた

Yさんが乗る真っ赤なポルシェ912が現れた瞬間、思わず目が釘づけになってしまった。1965年から69年までの5年間しか生産されなかった912はとても希少なモデルで、なかなかお目にかかれるモノではないのだ。「特にオジサンにモテモテで、信号待ちではよく『珍しいね!』と声をかけられます」とYさんは嬉しそうに話す。

ここでまず、912というモデルについて簡単に説明しておきたい。1963年に、ポルシェはそれまでの主力モデルだった356を911、いわゆる「ナロー」に切り替えた。この時に、リアに積むエンジンを4気筒から新開発の6気筒に移行したことで、ライバルだったジャガー・Eタイプより高価になってしまうという問題が発生。そこでポルシェは、4気筒エンジンを積んだ廉価版の912を市場に送り出したのだ。

後年、912は4気筒ということもあって911の陰に隠れがちだったが、クラシックポルシェの人気が上がるのと同時に近年では再評価され、相場も高騰している。911と比べて非力ではあるけれど、前後の重量バランスのよさや軽快なハンドリングを評価する声も多い。興味深いのは、912に乗る前にYさんは「タイプ997(後期型)」と呼ばれる比較的新しい911に乗っていたということ。タイプ997とは、2004年から11年にかけて生産された911のモデルを指す。

「997は3年ほど前に買ったのですが、実はその時もナローをはじめとする空冷ポルシェを探していたんです。でもショップの方に『一度は水冷エンジンの新しい911に乗っておいたほうがいい』と言われて、997を選びました」

911をご存知の方には釈迦に説法だけれど、「水冷」と「空冷」についても説明を加えておきたい。63年のデビュー以来、911は空冷の水平対向エンジンを搭載してきた。だが97年に登場したタイプ996からは、排ガス規制や騒音規制にともない、水冷エンジンへの変更を余儀なくされる。Yさんは、愛車だった997をこう振り返る。

「997はめちゃくちゃ優秀なスポーツカーでした。速くて静かだし、乗り心地もよくてある程度は荷物も載ります。しかも2ペダルのPDKだったので、運転もコツいらずでスポーティに楽しめる。ポルシェファンの中には、空冷エンジンしか認めないという方もいるそうですが、僕としては水冷の997を経験してから空冷の912に乗り換えてよかったと思っています。水冷と空冷、両方のよさを知ることができましたから」


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(1枚目から右へ)
・Yさんの912は1967年式。エンジンは、先代である356SCの1.6ℓ水平対向4気筒を搭載。エンジンルームは911の6気筒を積むための設計ゆえ、クリアランスが十分に確保されて整備性も高い。
・ガラガラと乾いた排気音を立てて元気よく走る。エンジンフィールは911ほど鋭くなく非力だが、回転があがるにつれ、耳の後ろから粒のそろったビートが聞こえてくるのがなんとも心地よい。
・912は3連メーターが標準だったが、67年からは911と同じく5連になり、スポーティな雰囲気に。MTは純正オプションの5速、助手席の足もとには社外製のエアコンがつく。「まだ使っていないですが、夏に動くか…楽しみです(笑)」。
・織り感のあるグレーの生地とレザーがシックなシート。ヘッドレストはなくパターンもシンプルだが、座り心地はスプリングがきいていて想像以上に柔らかい。
・Yさんが実際に所有していた997(後期型のカレラS)。日本に1台というダイヤモンドブルーと呼ばれる希少色をまとっていた。(写真:Yさん提供)


ライトやラジオの不調は故障とは言わない!?

Yさんがタイプ997から912に乗り換えたのは、2021年の11月頃だった。

「997を購入したショップのホームページを見ていたら、この912が売りに出ていたんです。すぐに連絡をして見に行き、即決しました。6気筒のナローよりも、ちょっと気の抜けた感じがかわいいなと思ったんです。もともと絶対的なスピードよりも街中でも気持ちよく走れることを重視したかったので、4気筒というのはむしろチャームポイントでした」

そして912が手元にやって来てから、Yさんのクルマ生活には変化が起きたという。

「もともと周囲にクルマ好きの友だち少なくて、ひとりで楽しむタイプでした。でも912に乗るようになってからは、912やナローに乗る仲間ができて、一緒にツーリングに行くなどしています。久里浜からフェリーで金谷に渡って、房総半島をぐるりとまわったツーリングは楽しかったですね。これからはクラシックカーのイベントにも参加してみたいです」

この4ヵ月でトラブルはなかったかを尋ねると、「どこまでを故障と呼ぶかですが…」と、Yさんは少し考えた。

「たとえばラジオやウインカーが点かなくなりましたが、接点をきれいにしたらすぐに直ったので、それを故障と呼ぶかどうかは難しいですね。あと、よくエアコンが壊れたという話を聞きますけど、それはエアコンが壊れたのであってクルマが壊れたわけじゃない(笑)。そういう意味で、クルマが壊れたというトラブルはありませんでしたね。912はパワステがないからパワステは壊れないし、パワーウィンドウもないからこれも壊れない。シンプルなつくりだし、購入したショップによれば前のオーナーも大きなトラブルは経験していないということなので、信頼性は意外と高いのかなと感じています」


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(1枚目から右へ)
・Yさんの912はショートホイールベース(SWB)仕様。69年からは、走行安定性の観点から911も912もホイールベースが延長される。ノーマルのSWBがもつ、ころんとした可憐な佇まいを好むファンは多い。
・フロントのラゲッジスペースは、深さこそないがかなり広い。「普段は洗車道具を積む程度ですが、いずれはギアを詰めてキャンプに行きたいです」。ちなみに、スペアタイヤは空気が抜かれた状態でこの下に収まる。
・ドイツのコーチビルダー(ボディ架装会社)「カルマン」の工場で製造されたことを示すプレート。
・Yさんお気に入りの三角窓。クーラーがまだ普及していなかった当時は、ここから走行中の外気を取り入れて涼んでいた。
・美しいエンジンフードのフィンの下には、912のバッジが光る。「外観は911と同じなので、見分けがつくのはここくらい。古い911に乗る人が僕のクルマを見つけると、いったん後ろに回り込んでから抜いていくことも(笑)」。


取材日は幸いにも春爛漫の撮影日和。Yさんが912の三角窓を開けると、気持ちのよい風が入ってくる。

「天然のクーラーですよね。三角窓のあるクルマに乗りたいという気持ちもありました。ここから10年は912に乗りたいと思っています。地方の美術館やキャンプにも行きたいですね。飾って楽しむのではなくて、きちんと整備をしながらガンガン使いたいと思います」

ポルシェのスポーツカーが長年支持されてきたのは、単に高性能だからではない。狭いながらも後席があり、ある程度の荷物を積むこともできる。ガソリンスタンドの段差でノーズを擦る心配もないし、メカの信頼性だって高い。極めて実用的なクルマなのだ。そう考えると、この912はうってつけのオーナーの元へやって来たように思える。


Yさん/映像クリエイター
1984年生まれ。中学生の頃からクルマ好きになり、初めてのクルマはボルボC30。10年前に92年式のスズキ・ジムニーをレストア&カスタム。趣味のアウトドアでも乗るほか、仕事でも愛用している。


Photos: Kosuke Tamura
Text: Takeshi Sato