2026.07.14
最終更新日:2026.07.14

居心地のいい場所に安住することは倫理的か?【飲み会で使える! ポピュラー哲学講座|谷川嘉浩】

第25回|居心地のいい場所に安住することは倫理的か?

アリアン・ノミコスプロフィール画像
アリアン・ノミコス

ウエストバージニア大学の哲学者、倫理学者。今回扱ったのは、Contemporary Aesthetics掲載の「How Could Anybody Ever Feel at Home?」という論文。また、メディナの文章は『Cosmopolitanism and Place』に掲載されている。なお、居場所と排除については、宇野常寛『庭の話』(講談社)に類似の議論があるので副読本にぴったり。

日常は、“familiarity”(親しみ/慣れ親しみ)に満ちている。そう特徴づけても異論はないだろう。異質で不安を誘う物ではなく親しみある物に囲まれ、急激な変化と見知らぬ刺激に満ちた場所ではなく親しみある場所にいるから、私たちはルーティーンを組み立てられる。そうした暮らしがもたらす安心感や主観的な幸福は、物や場所への愛着にもつながるだろう。

ある場所を心地よく感じて安住すると、人々が生活環境について知るべきことはすべて知っているという思い込みがしばしば生じる。哲学者のホセ・メディナは、これを“epistemic comfort”(認識的安楽)と呼んだ。自宅には何がどこにあるかを知っているし、掃除しなければならないタイミングも知っている。近所には馴染みのスーパーやカフェがあって、地域にも愛着がある。十分楽しく、十分安心して生きられるのに、これ以上何を知る必要があるだろうか。

だが、認識的安楽は、自分の生活に直接影響がないと感じられる物事への無知を是認する働きもある。私の地元には、貧困家庭が集中しているエリアがあった。地元にいた頃の私は、よくも悪くもそれらを単なる家として同列に扱っていて、地元に存在したはずの貧困に無知だった。アリアン・ノミコスは、メディナの議論を引き継ぎながら、誰かにとっての居場所が別の誰かを排除することで成立している可能性を指摘する。親しみは、それが肯定的に感じられる場合でも、時に有害な影響を持ちうるのだ。

自分が居場所だと感じている場所で、他の誰かが排除されているかもしれない。自分の生活を素朴に肯定するだけだと、隣人が直面している課題や苦痛を素通りしかねない。これが日常の親しみに耽溺し、認識的安楽に陥ったときに引き起こされる有害さである。無知ゆえに気づいていない排除や課題を考慮しようとする方が立派だし、そういう他者の存在を想像できないのは隣人として無責任ではないだろうか。

そこでノミコスが提案するのは、日常を「異化」することである。親しみある物や場所を別の視点から眺めること。そうした効果を持つ作品として思い浮かぶのは、柴崎友香さんの小説『帰れない探偵』(講談社)だ。主人公は、ある日突然、自宅に帰れなくなる。自宅にトラウマがあるとか記憶喪失とかではなく、ただ単に家への道を見つけられなくなる。この奇妙な設定は、ありふれた日常を違った仕方で照らしてくれるし、故郷喪失の経験、難民になる経験の一側面を体感させてくれる。他の人が安心して暮らす場所で、主人公だけがずっとよそ者だ。安心できる暮らしはすばらしいが、そこで見落とされる苦痛や排除、課題に目を向けることは、それと同じくらい価値あることではないだろうか。

谷川嘉浩

哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『増補改訂版 スマホ時代の哲学』『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。

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