第26回|閉じていてもプレイできる「放置ゲーム」が映し出す時間のあり方とは?
ロンドン大学ゴールドスミス校の研究員。専門は、カルチュラルスタディーズ、ソフトウェア研究など。今回扱ったのは、「Wasting Time: Human Idleness and Durational Mechanics in Idle Games」という論文。個別ゲームの分析の前に、ゲームが無駄・怠惰とみなされた過去を論じた箇所もある。紙幅の都合で割愛しているがそこも面白い。
スマホの通知で集中を奪われ疲弊している私たちは、娯楽や消費対象に、細切れなエンゲージメントと気怠い認知を提示するのがせいぜい。その中で即自的な満足感を得るために採用されがちなのが、「ながら消費」である。英語圏のながら消費研究を調べていると、放置ゲーム(idle games)についての論文があった。
ゲームをしながら友人と会話、ポッドキャストを聴きながらランニング、テレビを観ながら洗い物。英語で「ながら」は、“while doing other things”と表現される。ただし、放置ゲームの「ながら」はプレイさえ要求しない。勝手にゲームが進行しているのだ。要するに、ゲームをプレイしていない時間が、ゲーム進行に影響を及ぼすのが放置ゲームの特徴なのである。
メディア研究者のリアム・マラリーは、放置ゲームを論じるために「アドベンチャー・キャピタリスト」と「ザ・ロンギング」を取り上げている。前者は、「モノポリー」を連想させる人物がレモネード売りから始めて、稼いだ資金を、もっと稼ぐために投資するゲームであり、資本主義の自覚的なパロディになっている。プレイヤーがクリックすれば稼ぎが得られるのだが、稼ぎを投下すれば作業を自動化できる。さらに、現実のお金で課金すれば、たとえば30分先の未来にスキップすることができ、その間の稼ぎを巻き取ることができる。このゲームは、ゲーム以外の時間、特に労働や消費の合間や待ち時間に侵入するようになり、ほんの一瞬の非生産的な瞬間すらも、資本主義的な時間に変えてしまう。
大半の放置ゲームはこれと同じく、加速によってプレイヤーを巻き込むのだが、「ザ・ロンギング」は遅さを取り込んでいる点で特異である。ゲームは実時間で400日後に完結する。洞窟の中にいる主人公は、この時間が経過したら王を目覚めさせるよう指示されており、その間の400日で辺りを探索することができる(探索しなくともよい)。序盤で出会う扉は開けるのに5分かかるが、こうした待ち時間はプレイ中に次第に長くなっていくため、プレイに没入することはない。これが自覚的な体験設計であることは、ゲーム内でメルヴィルの長大な小説『白鯨』を読めることからもわかる。
どちらもプレイしない時間を活用しているが、正反対の「ながら」状態を提示している。搾取される歯車として、加速する時間に適応した生産的な「ながら」と、新しいことが起こるのを待つ、無為で非効率的な「ながら」。小分けされた細切れな時間を漫然と消費に巻き込んでいく忙しさから距離をとる上で、「ザ・ロンギング」が提示する何もしない時間の重要性は高まっている。
哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『増補改訂版 スマホ時代の哲学』『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。