2026.06.22
最終更新日:2026.06.22

ネタバレをするのは倫理的に「悪い」こと?【飲み会で使える! ポピュラー哲学講座|谷川嘉浩】

第24回|ネタバレをするのは倫理的に「悪い」こと?

デイヴィッド・ショウプロフィール画像
デイヴィッド・ショウ

バーゼル大学生物医学研究所の倫理学者。今回取り上げたのは「ネタバレの倫理学(The Ethics of Spoilers)」という論文。終盤で扱ったのは、原作付き映画の鑑賞を取り上げた「これまで見てきたものを踏まえて(After Everything I’ve Seen)」という論文。なお、雑誌「フィルカル」Vol. 4, No. 2には「ネタバレの美学」特集がある。

倫理学者のデイヴィッド・ショウは、メディア従事者と視聴者には、可能な限りネタバレ(spoiler)を避ける倫理的義務があると主張している。映画・本・演劇などの作品を楽しむ上で重要な要素として、「次に何が起こるかを知らないこと」がある。そのためには「白紙の状態」が維持されねばならないが、ネタバレはそれを破壊してしまう。プロットだけでなく、キャラクターについてのネタバレも、同様に期待感を削ぎかねない。作品内描写と対応しない「ウソのネタバレ」であっても、期待感が削がれるのであれば有害性は変わらない。

一応筋の通った議論と言えよう。さらに著者は想定反論を三つ挙げる。①優れた作品はネタバレ状態でも楽しめる。②倫理的に心配するほどの問題ではない。③ネタバレを進んで求める人もいる。ショウはこれらに再反論している。

①『ハムレット』のような優れた作品は繰り返し見られている(=ネタバレ状態でも楽しめる)との反論に対して、彼も何度でも楽しめる作品があることを認めつつ、初回の鑑賞と二回目以降の鑑賞の質的違いを問題にする。人生で初めてその作品を鑑賞する機会は一度しかないが、ネタバレはそれを奪ってしまう、と。

②ネタバレは些細なことだから深刻になるなという批判に、ショウはその「小ささ」を認めつつ、功利主義的に反論する。つまり、文化から得るはずの喜びの損失が数百万人分累積すれば、結果的に膨大な喜びが失われることになる。

③「ネタバレを進んで求めるファンもいる」との反論には、待ちきれずに事前情報へ殺到している人々はネタバレではなく「スクープ」を求めているため、現象として異なると返答する。以上の議論と並行して、ネタバレを止めるのはわずかな努力で行えるとも強調されている。

想定反論への再反論を聞くと、それなりに頑強な立場であるように思えてくる。とはいえ、稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』(光文社)をはじめとして、ネタバレを積極的に取りに行き、それで満足したり、ネタバレ通りの期待度の鑑賞ができることに満足したりする鑑賞者の存在が指摘されていることを思うと、②や③が的確な再反論になっているかは疑わしい。

そこで最後に、アレン・レッドモンの見解を紹介しておこう。ネタバレ概念は、物語の醍醐味が「突然の驚きや予期せぬ展開」にあると想定しているが、「継続的な没入感」にあると考えるべきではないか。ネタバレ論が物語を特定情報の開示、いわば「点」として捉えているのに対して、レッドモンは持続的な没入の体験、いわば「線」として捉えている。彼はネタバレ論が、そもそもあまりに狭い物語観の上に成立しているとみなしたのである。

谷川嘉浩

哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『増補改訂版 スマホ時代の哲学』『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。

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