2024.04.19

『オッペンハイマー』|出世魚クリストファー・ノーランがアメリカ史に挑んだ野心的プロジェクト【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

現在公開中の映画を、菊地成孔が読み解く。

『オッペンハイマー』

オッペンハイマー
©Universal Pictures. All Rights Reserved.

出世魚クリストファー・ノーランが
アメリカ史に挑んだ野心的プロジェクト

 原子力爆弾を開発した物理学者ロバート・オッペンハイマーを描く本作は、日本公開が遅れたことでも話題を呼びました。

 時間操作や仮想現実を扱ってきたクリストファー・ノーランは『ダンケルク』で初めて史実を取り上げた。今回は同じ戦争ものでもかなり複雑な史実。ウクライナはじめ世界は今、戦時下にある。しかしこの映画には本質的に現代に通ずるところは感じられない。核兵器の是非を問う作品ではないのです。あくまでも過去のこと、戦争を終わらせるために原爆は投下されたというアメリカの認識は変わりません。

 かつて赤狩りという忌まわしいことがあり、オッペンハイマーも“ソ連のスパイ”との疑惑から追い込まれた。この反省に何よりも時間をかけている。ハリウッドは今、「アメリカ史」を懸命に編んでいるように思えます。戦争にまつわる史実はエンターテインメントにもなる。

 賢者であるアインシュタインが登場し、一方で悪玉である原子力推進委員会トップが主人公を苦しめる。共産党を脱党した過去のある妻は敢然と赤狩りに立ち向かう。トルーマン大統領はマッチョなホワイトハウスの象徴。漫画のようにキャラ立ちした周囲に比べ、時代の波に翻弄されたオッペンハイマーその人はよくわからない。3時間まったく退屈はしませんが、作品の中心は空洞化しています。

 ただ興味深いのは「アメリカ史」をイギリス人であるノーランが紡いでいる点。彼は、米国生まれだが英国人と見做される天才、スタンリー・キューブリックの系譜に自分も位置すると考えているのでしょう。キューブリックが『博士の異常な愛情』(1964)や『フルメタル・ジャケット』(1987)を撮ったことを鑑みれば、通ずるものはある。反戦でも好戦でもない姿勢で「アメリカ」をとらえているし、VFXの面構えもアンチ・ハリウッド的です。

 SFへの解答や社会的メッセージがないノーランの映画はどこか子どもっぽかった。そんな彼が『ダンケルク』をテストランとして、VFXをイマジネーションではなく史実と結びつけた社会派プロジェクト。その1作目と考えるとノーラン・ファンという市場を拡大し名実ともにイギリスを代表する監督になるという意志を感じます。その意味でノーランは出世魚ですね(談)。

『オッペンハイマー』

監督・脚本/クリストファー・ノーラン 
出演/キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント
3月29日より全国公開

独創的なSF作品で知られるクリストファー・ノーラン監督が“原爆の父”オッペンハイマーの波乱に富んだ半生を描いた大作。前半はロス・アラモスで原爆開発に成功するまでをスケール豊かに、後半では赤狩りで地位や名誉を奪われる様を密室感覚で見つめる。主人公の脳内イメージには得意技のVFXも多数投入。本国では大ヒットを記録し、現在、各映画賞を席巻中。

菊地成孔

音楽家、文筆家、音楽講師。最新情報は「ビュロー菊地チャンネル」にて。
ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi

RECOMMENDED