『小説家の映画』

監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽/ホン・サンス 
出演/イ・へヨン、キム・ミニ、ソ・ヨンファ
6月30日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

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小説家の映画_ホン・サンス

休筆中の小説家と、休業中の女優が公園で出会う。小説家はここでその女優を主演に映画を撮ることを思いつく。やがて彼女たちは共通の知人たちと酒席を共にすることに…。日常からはズレているがけっして踏み込まない絶妙な会話の端々から目が離せない映画空間が立ち上がる。モノクロームで紡がれる可憐な輝きに魅せられる、唯一無二の韓国人監督の名人芸を堪能して。


特別な監督ホン・サンスによる  
アートとしてのプログラムピクチャー

 巷の韓流とは関係ない位置で映画を撮り続けてきたホン・サンス。観ている人、観ていない人問わず、誰もがホン・サンスは特別な存在だと思っているし、実際、彼の作品は特別。もはやホン・サンスは一つのジャンルになっているしブランディングに成功したと言えます。


 毎度のことですが、今回もやっぱり面白いしフレッシュ。小津安二郎の映画のように決まった画面のトーンやマナーがある監督なので、それがどの程度守られているのか、いないのかが気になる。ミニマリストとしての狙いもあるでしょうが、もはや今回はよかったとか、イマイチだったという判断基準はなくなってきます。


 何も変わっていないようでいて、ゆっくり変容してきた。近年は独特の緊張感が持続している。人は感動したり、怖がったり、笑ったりするとき、安心して緊張から解放されますが、ホン・サンスの映画にはそれがない。例えばホラー映画で怖い現象が起きるまでの緊張感がずーっと続いて、結局何も起こらなかった、そんな感じ。だが、その感覚が面白い。


 人間には隠された事情というものがあって、それが出会いとおしゃべりによって少し明かされそうになるが、明かされない。映画という凝縮された時間で描けるのは、ほんの一瞬のことにすぎず、その向こうには人物の膨大なパーソナルな時間が隠されている。このことを、ほのめかし続ける。ひたすらサスペンスの匂いだけがある。近年はこの傾向が強い。


 出てくる人たちは大金持ちではないが、文化的ハイソサエティ、つまりインテリばかり。今回も、小説家と女優が出会い、ブックカフェで詩人らとマッコリを飲み交わす。日本で言えば金沢のような文化都市を舞台に、非インテリの出てこない文化的パラダイスを描いている。


 ホン・サンスはポン・ジュノのように格差社会も描かないし、パク・チャヌクのように激しい映画も撮らない。反体制でもないし憂国でもない。毎回同じだが、毎回面白い。これはいわばアートのプログラムピクチャーです。


 低エネルギーに、透明感。静かにすごいことをやっているが、観客にとっては語りやすさと語りにくさが同居している。しかしホン・サンスが撮らなければ、描かれなくなってしまう世界が確かにあるのです。(談)


菊地成孔
音楽家、文筆家、音楽講師。最新情報は「ビュロー菊地チャンネル」にて。
ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi



Text:Toji Aida

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