『ニューヨーク 最高の訳あり物件』

--今回は『ニューヨーク 最高の訳あり物件』(2017年)です。スタンダードなラブコメっぽくない印象を受けましたが、ドイツの作品なんですね。

ジェーン・スー(以下、スー):ニューヨークが舞台でもアメリカ人以外が作るとこうなるのか! という発見がありましたね。原題は『Forget about Nick』(ニックを忘れる)でラブコメっぽいと言えばラブコメっぽいタイトルなんだけど。ラブコメ映画のフォーマットで、こんなに丁寧に人の感情が描けるのかと、語ることの多い作品だと思いました。

高橋芳朗(以下、高橋):いやー、途中からメモを取るのを忘れて観入ってしまったよ。では、まずはあらすじから。「マンハッタンの高級アパートメントで暮らすモデルのジェイド(イングリッド・ボルゾ・ベルダル)は、デザイナーとしての華々しいデビューを計画していた。ところがある日、スポンサーでもある夫のニック(ハルク・ビルギナー)から一方的に離婚を告げられる。そんな傷心の中、夫の前妻マリア(カッチャ・リーマン)が突然家に転がり込んできて部屋の所有権の半分は自分のものだと主張するありえない事態に。同じ男と結婚したこと以外は、ファッションもライフスタイルも性格もすべてが正反対のジェイドとマリア。プライドとこの先の人生をかけふたりの共同生活がスタートした…」というお話。

スー:リッチで浮気性な年上の夫ニック、専業主婦で長らく仕事をしてこなかった前妻のマリア、元モデルで次のキャリアを模索している現在の妻ジェイド。そしてまたまた夫が若い女にうつつを抜かし、現在の妻に離婚を切り出す。財産分与は、いま住んでいる家。しかし、その半分は前妻にも権利を渡す。アメリカ的なラブコメ映画だったらめちゃくちゃドタバタな展開になるし、夫への復讐のためにかなり早い段階で妻同士が結託することになると思うんですよ。でも、この作品は違う。この設定から、あの複雑なリアリティあふれる感情を描いたところに脱帽です。

高橋:これはマルガレーテ・フォン・トロッタにとって初のコメディ作品なんだけど、本来彼女は哲学者のローザ・ルクセンブルグやハンナ・アーレントの伝記映画を撮っている社会派の監督。この映画の独自性はそんなトロッタのバックグラウンドに基づいているところもあるのではないかと。あとはマンハッタンを舞台にして夫婦の崩壊を描いたシニカルなラブコメディということで、どうしたって『夫たち、妻たち』(1992年)に代表されるウディ・アレン作品を引き合いに出したくはなるね。

スー:たしかに! 現実はラブコメ映画のように簡単にはいかない、というさまを非現実的な舞台設定で生々しく丁寧に見せていくのに驚いたよ。あと、女性のキャラクター。仕事をバリバリしてきた現在の妻、誰かがやらねばならぬ家事育児を担当してキャリアが絶たれた前妻。それぞれのリアルを突きつけられる。

高橋:20世紀のドイツ文学を専攻して博士号も取っている前妻マリアが学校教員の面接を受けるシーンは特に印象的だった。彼女は女性面接官に「高学歴なのに子育てに専念した結果、空の家に取り残されキャリアもない。つらいでしょ?」なんて言われちゃう。

スー:うん。設定としてはジェイドもマリアも40歳で離婚するんだけど、ジェイドはキャリアはあるけど子どもは持てなかった。一方、マリアは子どもも孫もいるけどキャリアがない。女性が直面している問題だよね。

高橋:ジェイドはジェイドで「働く女性が気軽に着られる服を作りたい」と主張するんだけど、こちらも「元モデルのデザイナーは若者狙いが鉄則」と頭ごなしに否定される。代替案として「ラストフォーエバー」というコンセプトを提案されるわけだけど、彼女はそれに対してラストフォーエヴァー? それってセクシーなの?」と思い切り違和感を表明していて。

スー:そう、「(素敵な女性には)賞味期限がこない」という提案は一見まっとうに見えるけど、「女の賞味期限なんてものはハナからない」が正しいんだよね。そういう、一段階踏み込んだ考え方を提示してくる作品だった。授業の題材にしたらいいのにって思ったくらい。

高橋:ジェイドとマリア、双方の立場が並走していく構成は確かに教材として適しているかもしれない。テーマがわかりやすく提示されているから、監督の問題意識を共有しやすいんだよね。

スー:ジェイドはノルウェー人だけど、アメリカ的な価値観に染まっているというのもなかなかの皮肉。義理の娘(マリアの娘)アントニアに指摘されてたじゃない? マリアには教養がある。家事も育児もできる。でも、アメリカではそれがお金にならない。で、アントニアは一瞬アメリカ的な価値観に染まりそうになったけど、ハッと正気に戻る。

高橋:そう、「お金と成功がすべての国で息子を育てたくない」ってね。これは非アメリカ人監督ならではの痛烈な一撃だった。

スー:浮気性の夫が発端だけど、女性が直面する「キャリア、出産、子育て、年齢、家族、自立」という対立しがちなトピックが全編に散りばめられているんだよ。誠実だなと思ったのは、安易な対立構造も作らないし、安直にその壁を越えさせもしない。

高橋:すごいのはさ、それでいてぎりぎりラブコメディの体裁を保っているんだよね。

スー:そうなのよ。ラブコメ映画というフォーマットを使って他の景色を見せるという手法は『軽い男じゃないのよ』(2018年)と同じ。今作はこの連載で取り上げるのに、とてもいい作品だわ。というのも、ラブコメ映画という箱の中に、非常にラブコメ的な人を配置して、ラブコメ的なお話の展開が繰り広げられる作品をたくさん紹介してきたから。同じフォーマットでも、こんなに違うものが描けるんだということが、この連載を読んでくれてる人にはよくわかってもらえると思う。

高橋:2017年の『ニューヨーク 最高の訳あり物件』、2018年の『軽い男じゃないのよ』、2019年の『今宵、212号室で』。2010年代後半はラブコメディの可能性を押し広げるような秀作がヨーロッパから相次いでリリースされていたんだな。

スー:ぜひ注目して欲しい点があって、俳優、スタイリング、ヘアメイク、すべてがアメリカ的ではないところ。登場人物が非常に生身の人間っぽい。たとえばジェイド役なんて、アメリカ的ならもっとスーパーモデルみたいな人がやるだろうし。意識的なのか無意識にこうしたのかはわからないけどね。

高橋:マンハッタンの切り取り方もアメリカ人監督のそれとは微妙に異なるし、そのへんの感覚が意図的に反映されたものかどうかは気になるところではあるね。そうそう、今回はまったく予備知識なしで見たから当初ニックは映画『桐島、部活やめるってよ』における桐島的なマクガフィンなのかと思っていて。

スー:違ったね。ニックもちゃんと人間だったね。クズだけど。

--ニックがふたり(ジェイドとマリア)がいる家にやってきて、ジェイドに「マリアの料理は美味しいだろ?」と褒めるシーンがあるじゃないですか。あそこはゾッとしました。

スー:ジェイドがいないと思って家に戻ってきたニックが、ジェイドの突然の登場にマリアの手作りケーキだけは手にしてそそくさと帰っていったシーンね。あそこもキツいよね。ジェイドに「やっぱり料理がうまい女のほうがいいのか」的なことを思わせるから。

高橋:ジェイドがコレクトしている鑑賞用のアートな皿にマリアが料理を盛り付けたら、ジェイドはぶち切れた挙句あっさり料理をゴミ箱に叩き込んでいたよね。

スー:アレはね、呪いですよ。キャリア、若さ、母性、家族観なんかが構造的にすごく複雑に描かれている。結局、この作品は女性の分断と連帯を描いているんだよ。「家庭的VSキャリア」「若いVS中年」「教養VS経済力」「子アリVS子ナシ」。そういう、女性が引き裂かれがちなことが事細かに描かれている。ジェイドとアントニアが仲良くなって、一緒に仕事をしだしてうまく回りだしたあたりのマリアは辛くて見ていられなかったな。

高橋:アントニアの息子を預かっていることから思うように身動きが取れないマリアに対して、ジェイドが「あなたが怠け者だから私が養っている」と言い放つシーンとかね。マリアは「子守も仕事よ!」と主張するんだけど、それでもジェイドは「子守は怠けるための口実でしょ!」と切り返す。

スー:マリアみたいな女性が社会で居場所をつくるにはどうしたらいいのか、という大きな問題はずっと提示されていたね。でも、最終的には負けなかったというところが秀逸だなと思った。ちなみにラストシーンはどう思った?

高橋:ジェイドとマリアの連帯を示すにあたってなにかもうひとつ説得力のある要素がほしかった気もするんだけど、基本的には支持したいね。ジェイドの決め台詞に対するマリアのリアクションがめちゃくちゃイカしてる! 正直に打ち明けると、ニックがふたりから相応の仕打ちを受けることを期待していたところもあったんだよ。ただ、それは一時的に溜飲は下がるけどちょっと短絡的すぎるかなって。

スー:そうそう。若い女についていけなくなる老いた男ということは描かれていたけど、ニックがボロボロになってもねえ、という問題提起でもあるわけで…。だから、ラストは予想を超えてたんだよね。アメリカのラブコメ映画であるような、ジェイドとマリアがニックに復讐して手と手を取り合ってマンハッタンを歩く、みたいなのじゃないんだもの。“女性の連帯”は描かれてるんだけどね。設定はラブコメ映画らしくリアリティがないのに、“連帯”の描き方がリアリティがあったのが良かったな。

高橋:ラブコメに限らず『ハスラーズ』(2019年)だったり『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』(2020年)だったり、ここ数年は女性の連帯を描いた映画が増えてきているでしょ? この『ニューヨーク 最高の訳あり物件』は、その流れの端緒のひとつと言えるかもしれないね。こうして話していて確信したけど、ラブコメディのネクストレベルであることはまちがいないと思うよ。


『ニューヨーク 最高の訳あり物件』

監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
脚本:パム・カッツ
出演:イングリッド・ボルゾ・ベルダル、カッチャ・リーマン、ハルク・ビルギナー
公開:2019年6月29日(日本)
製作:ドイツ

Photos:AFLO

ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。コラムニスト・ラジオパーソナリティ。老年の父と中年の娘の日常を描いたエッセイ『生きるとか死ぬとか父親とか』がドラマ化(テレビ東京 金曜日0:12~)TBSラジオ『生活は踊る』(月~木 11時~13時)オンエア中。

高橋芳朗

東京都出身。音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティー/選曲家。著書は『ディス・イズ・アメリカ 「トランプ時代」のポップミュージック』『生活が踊る歌』など。出演/選曲はTBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』『アフター6ジャンクション』『金曜ボイスログ』など。

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