2019.05.06

ジェーン・スーと高橋芳朗の愛と教養のラブコメ映画講座 Vol.7『軽い男じゃないのよ』

社会的地位が男女逆転した世界に迷い込んでしまったら…。全世界の男女に観てもらいたいと熱く語る二人の見解に納得です。

『軽い男じゃないのよ』(2018年)

現実世界を突きつける男女逆転の世界

ジェーン・スーと高橋芳朗の愛と教養のラブの画像_1

——今回紹介するのはフランスのNetflix(ネットフリックス)オリジナル作品『軽い男じゃないのよ』(2018年)です。 

高橋芳朗(以下、高橋):はたして、この映画を今まで紹介してきた作品と並列に「ラブコメ映画」として紹介していいものなのか…僕らが提唱しているラブコメ映画の4つの条件、1)気恥ずかしいまでの真っ直ぐなメッセージ、2)それをコミカルかつロマンティックに伝える術、3)適度なご都合主義、4)「明日もがんばろう!」と思える前向きな活力、これらを満たしているかというとかなり怪しいよね。 

ジェーン・スー(以下、スー):もー、ほんとに驚いた。なんだこの映画は。真っ直ぐなメッセージをゾッとするようなファンタジーに混ぜてくるし、コミカルながらも思わず「今の、笑ってよかったの?」となっちゃうエピソードの連発。ある意味ホラーだし、ラストまで適度なご都合主義もないんだよね。「明日もがんばろう!」というよりは、「明日も戦わなきゃ!」という気持ちになる。だけど話の大筋や設定は完全にラブコメなのよ。「男女の世界が逆転しちゃった! さあ大変! 気になるあの子が高慢チキな男の子に!?」って感じだもの。あーもーとにかくひとりでも多くの人に観て欲しい。こんな映像体験なかなかないし。ネットフリックスが観られるカードがあるなら、街中で配って歩きたいぐらいだよ。 

高橋:では、ひとまず映画のあらすじを。「高慢な女たらしの独身男ダミアン(ヴァンサン・エルパス)は、ある日街で頭を打って気絶したことをきっかけに不思議な世界に迷い込む。そこは女性が社会の中心で活躍して男性は差別的な扱いを受けながら家事や子育てに従事する、男女逆転の世界だった。ダミアンは戸惑いを覚えながらも傲慢な女流作家、アレクサンドル(マリー=ソフィー・フェルダン)の助手として働き始めるが…」というお話。正直、このあらすじを読み上げている時点で頭を抱えてしまうよね。だって「そこは女性が社会の中心で活躍して男性は差別的な扱いを受けながら家事や子育てに従事する、男女逆転の世界だった」ってさ、今のこの世の中がいかに狂ってるかってことでしょ? 

スー:男女の設定を逆にしただけなのにね。結果的に、女を取り囲む現状が如何にキツいか、気づきたくないレベルまで気づいちゃった。 

高橋:映画が始まって、ダミアンがポールに頭を痛打してパラレルワールドに迷い込むまでの10分。この10分のダミアンの振る舞いが以降の展開の前振りになっているんだけど、マチズモ/ミソジニストのヤダみが凝縮されていてうんざりする(苦笑)。

ジェーン・スーと高橋芳朗の愛と教養のラブの画像_2

スー:そう? だってダミアンみたいな男って、ドラマや映画によく出てくるじゃん。ちょっと困った人、くらいの扱いで。だけど、本当は「ちょっと困った」で許容しちゃいけないんだよね。男女の立場を逆にすると、それがはっきりわかるようになる。

高橋:このジェンダー逆転のアイデア自体は別に目新しいものだとは思わないし、『トワイライトゾーン』や『世にも奇妙な物語』で題材にしていてもおかしくないと思うのね。きっと実際にトライしたケースもたくさんあるんだろうけど、はたしてここまで徹底的にやって、なおかつこれだけの成果を上げた例はあるのかな? セリフだとか小道具だとかディテールがしっかりしているせいもあって、なにげないシーンがいちいち刺さるんだよ。ホント、ただジェンダーが逆転してる、それだけなのに。

スー:現実の世界でも、家族であれ会社であれ「権力を持つ人たちに気に入られないと居場所がなくなる」っていう恐怖は男女どちらとも体感していると思う。上司と部下の両方が男でもそう。だけど、現状は男女のパワーバランスに差があるから、「気に入るのは男」で、「気に入られるのは女」という構造になりがちなんだよね。現実ではそこがなかなか伝わらない。ダミアンは権力を持った女たちに自分の話をちゃんと聞いてもらえないじゃない? 映画だとダミアンが不憫に見えるけど、あれ現実では女によくあることだよね。作中の女たちがやっていることって本当に酷かったけど、男性に変換すると “社会にいがちな無理解な人”っていう立ち位置でよく出てくる。男たちのデモをからかう女の態度とかね。女がやるとあり得ない無礼と思ってしまうけど、男だとキャラクターとしては自然に存在する人になる。なぜだろう? と考えるきっかけになるよね。

高橋:「気にいるのは男、気に入られるのは女」か…ジェンダーが逆転した世界において、ダミアンはただ街を歩いてるだけで女性から口笛を吹かれたり、公園のベンチで座ってパンを食べてるだけで女の人からどうでもいいちょっかいを入れられる。彼は普段日常的に自分がやっていたことをやり返されて気づいたと思うんだよね。もともと対等な関係として女性を見ていなかったんだって。

スー:アレクサンドラの元カレが彼女の家に入って来て「利用されていただけなのよ」「私がバカだった」ってダミアンに言ったでしょ? それを聞いたダミアンは、帰宅したアレクサンドラを責めるじゃん。でも、責められたアレクサンドラはハナからダミアンを相手にしない。分が悪いのがわかってるから、取り合わないことで非難を逃れようとするのね。平然としらを切ったり、「そう怒るなよ」とトーンポリシング(※主張の内容は受け取らず話し方や態度に注文をつける)をする。あれをやられたことがある女は多いんじゃないかな(笑)。モヤモヤする女、女がなぜ怒っているのかわからない男は、あのシーンを見れば一発で理解できると思う。今まで「男ってそういうものだから」と語られてきたけど、そうじゃない。そもそも女を対等な相手として見ていない男がいるからこうなるんだとわかって、改めてゲボーっとなりました。持たざる者からすると、相手にちゃんと向き合ってもらうことすら困難なのよ。それを男女逆転させることで明らかにしているんだよね。男女の話であるようで、実際には権力を持つ者とそうでない者の話なのよ。

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高橋:そういえばダミアンがポールに頭をぶつけて気絶したとき、駆けつけた女性の救急隊員が真剣に彼の手当てをしてるのにダミアンも彼の友人のクリストフ(ピエール・ベネジット)もふざけたり冷やかしたりしてまともに彼女に取り合おうとしないんだよね。あれ、見ていてめちゃくちゃ不快だったな。

スー:一方で、私はこの作品を観て「まともに取り合わない・やりあわない」方法を覚えなきゃダメだとも思った。理解する気のない相手にわかってもらおうと躍起になる必要なんて、そもそもないのかも。相手が本気で怒っても「そんなに怒っちゃって、どうしたの? いろいろうまくいっていないの?」とか茶化す方法を覚えないと対抗していけないなと。我々はまともに向き合おうとしすぎていた!!! 

細かな描写が秀逸すぎる

——全てのシーンが刺さるということでしたが、特にここはすごいなと印象深かったシーンはありますか?

高橋:すごく些細なところなんだけど、ジェンダーが逆転した世界にダミアンが入り込んだ直後、彼が穿いてるスウェットパンツのお尻のところにピンク色で「HOT」って文字がプリントされてるんだよ。これは映画の序盤のシーンなんだけど、もうそこだけで相当手強い映画になりそうだなって思った。他にも細かいところを挙げていったらキリがないんだけどさ、パラレルワールドに移行してから最初にギョッとするのは街の景観。もうそこらじゅうに半裸の男性モデルの看板やらポスターやらがあふれてる。確かに男女逆転させたら世の中こういうことになるんだよね。

スー:一部の男たちは「女の体は美しいんだから男とは違うだろ」と言うかもしれないけど、そうじゃなくて「女の体は美しいんだから、公共の場で消費してもいい」と思っている人たちが権力を持っているってだけの話よね。男の裸と女の裸、どっちが美しいかの話じゃない。映画の中のように「男性の体は視覚的な消費物」と思う人の社会的地位が高かったら、街中が男の裸だらけになるってこと。そこで「男の体を消費するな!」と男たちが訴えたとしても「おいおい、なにを怒っているんだい?」と女に苦笑されたり、「キレイなんだから文句言うな!」「おまえの身体には興味ないから嫉妬すんな!」と女から罵声を浴びせられたりする世界。

ジェーン・スーと高橋芳朗の愛と教養のラブの画像_4

――男女逆転した世界が、ファンタジーなのにファンタジー感がないようにうまく描かれていましたよね。

高橋:日常の中の無意識のジェンダーバイアスが映画全編を通してどんどん表面化されていくからとにかく生々しいんだよね。それにしても、性行為にまつわるシーンはどれもきつかったな。セックスは女性が乱暴に男性を扱って自分がイッたらそれでおしまい。ダミアンの父親が若いころにたびたび妻の急な欲情のはけ口にされて嫌々ながらも身を任せるしかなかったって告白するシーンもさらっと描いていたけどしんどかった。それを男が生まれ持って受け入れなくてはいけない運命として話しているところが余計にもう…。

スー:この作品を観て、自分がいかに社会に飼いならされているかを痛感したわ。「作中の女たちがやってることが酷くて、観続けるのが嫌になった」と言ってた女友達がいたんだけど、同じことを男がやったら「嫌なやつだなー」ぐらいで終わるはず。「俺たちここまではひどくないだろ」って最初の30分くらいは反発する男の人もいるかもしれないけど、騙されたと思って最後まで観てください。ひとつも身に覚えがないって人はいるのかなって、ちょっと思います。

高橋:本当に。途中から頭の中でジョン・レノンの「Woman Is the Nigger of the World」が鳴りっぱなしだった。

スー:この作品が画期的なのは、「俺はこんなにひどいことをしていたんだ!」とダミアンに改心させるシーンを作らなかったところ。ダミアンは迷い込んだ世界に順応するのに必死で、それどころじゃなかった。「疑問」「反発」「反省」「改心」のステップを踏むには精神的余裕が必要だっていうリアリティ。反省シーンを入れると、観ている男性に罪悪感を植え付ける道徳映画になっちゃって逆効果だしね。

高橋:そして、ラストシーンが本当に衝撃的。鑑賞後の後味としては完全にホラーだよね。

スー:あれにはゾッとしたねー。その後のことを考えたら、もっとゾッとするし。男性と女性を加害者・被害者に色分けして終わるんじゃないんだよね。「天才か!」って思いましたよ。

高橋:これ、世の中の見え方が変わる映画としては最強クラスなんじゃないかな。いや、人によっては世の中の見え方どころか明日からの社会での振る舞いが変わる映画になるかもしれないよね。少なくとも自分にとってはそういう映画でした。

Netflixオリジナル映画『軽い男じゃないのよ』 

独占配信中!

PROFILE

作詞家・ラジオパーソナリティ・コラムニスト
ジェーン・スー

ジェーン・スー
東京生まれ東京育ちの日本人。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月曜~金曜 11:00~13:00)でパーソナリティーを務める。近著に「私がオバさんになったよ」(幻冬舎)。

音楽ジャーナリスト・ラジオパーソナリティ・選曲家
高橋芳朗

東京都港区出身。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。

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