2021.04.29

気軽な恋愛ドラマの向こうに社会の現実を見る【ジェーン・スー&高橋芳朗 ラブコメ映画講座#44】

10年前のハリウッドラブコメ作品は日本の“今”だった? 人生の再スタートを切った40歳女性とお人好し過ぎる24歳の青年とのラブストーリーに、ふたりは何を感じたのか。

『理想の彼氏』



--2009年公開『理想の彼氏』です。“ザ・ラブコメ”といったタイトルですね。いかがでした?

高橋芳朗(以下、高橋):ご都合主義の適度な微笑ましさも含めて“ナイスラブコメ”だったな。詳細に触れていく前に、まずはあらすじから。「主婦として平穏に暮らしていた40歳のサンディ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は、夫フランク(サム・ロバース)が長年にわたって浮気をしていたことを知って離婚を決意。ふたりの子どもを連れてニューヨークに移住すると共に、スポーツジャーナリストになる夢を再び追うことに。人生の再スタートを切った彼女は、引越し先のアパートの階下にあるカフェで働く24歳の青年アラム(ジャスティン・バーサ)に遭遇。ひょんなことからアラムにベビーシッターを頼んだサンディは徐々に彼を意識し始めるのだが…」というお話。

ジェーン・スー(以下、スー):あまり深いことを考えたり受け取ったりしたくないときに、カジュアルに観られる良作。つまり、人物や物事が複雑なレイヤーでは描かれていないってこと。そういう作品って生活に必要だよね。サンディのキャラクターだけど、「新しい女性の門出」としてはステレオタイプ的ではあるの。一般的に「幸せの象徴」とされる郊外の裕福な家庭の妻だけど、実は夫はモラハラ体質で、サンディは反論できない。専業主婦で、子どもが一番大切。スタイリングも秀逸で、徹底してカジュアルながら清楚で上品。そういう女がどうやって「枠」からはみ出して自分の人生を手に入れるかという話。

高橋:そんなサンディのセリフに「郊外族の妻なんて檻の中のハムスター」というパンチラインがあったけど、彼女はサンフランシスコ生まれでスタンフォード大学卒という裏設定がある。

スー:そうそう。スポーツネットワーク番組を見て各選手や試合の統計データを作れちゃうほどの能力もある。つまり、本来の自分をまったく発揮できていないってこと。離婚してからの彼女の方が、元気溌剌。素の自分に近いということがわかりやすく描かれていたね。

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高橋:夫の浮気が発覚する前、子供の誕生日パーティーでティナ・ターナーのコスプレをしてノリノリで「What’s Love Got to Do With it」を熱唱していたぐらいだから、もともと楽しい人ではあるんだろうね。 スー:アバンタイトルが出てくるまでのシーンで、サンディが子どもたちの手にアルコールジェルを塗りまくるじゃん? 彼女が清潔好きであるということと、彼女の人生において家族(子ども)の健康が何より大切ということが瞬時に伝わってくる場面。でも、ひとりになったときに聴く曲はメレディス・ブルックスの「Bitch」なんだよ。なにかしら抑え込んでいるものがあるという表現ね。アレはうまいなーって思った。 高橋:サンディは車中で「Bitch」を大音量で流しながら「私は両極端、アバズレでかわいい。子どもで母親、罪深い女で聖女にもなる。男を地獄に突き落とし、天国にも連れていく。中間の女、それが男をメロメロにする私の魅力」と歌っているんだけど、現実の彼女は夫のフランクに対して不満を抱えながらも彼を前にすると途端に声が出なくなってしまう。そのフランクは登場シーン自体はわずかながら些細な言動からも最悪なモラハラ男であることがよくわかる。サンディも「フランクは悪夢。一度も幸せを感じたことはなかった」なんて言ってるぐらいだから相当でしょ。 スー:どういうきっかけであんな男と結婚したのかは全く描かれていないから、全然わかんないんだけど(笑)。その辺りが穴と言えば穴だなぁ。良き妻であること、良き母であることを選ぶためにキャリアを諦めたという描写もないから、ちょっと脳内補完が必要だね。 高橋:「サンディのバックグラウンドはサンフランシスコ生まれのスタンフォード大卒という経歴から各々で察してください」と。ラブコメ好きの善意に頼った脚本だ(笑)。
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スー:フフフ。サンディはそんな40歳の女性。そしてスポーツが好き。スポーツというかスポーツゲームというシステムが好きなんだろうね。 高橋:面接官を唖然とさせたあのデータ管理能力だよね。サンディの有能さが垣間見られる印象的なシーンだったな。あのちょっとした描写を挟み込むだけで彼女のキャラクターにぐっと奥行きが出たと思う。 スー:そして、16歳も年下の青年アラムよ。彼もまたステレオタイプ的なキャラクターではある。失恋したばかりで野心が乏しい恋愛経験の少ない若者。こういう人はいま少なくないのかもしれないけどね。 高橋:グリーンカード目当ての結婚だったフランス人の妻アリスに特に怨恨を抱くこともなく、むしろ彼女が国外追放になるのは耐えられないからといって離婚に踏み切ることができないバカがつくほどのお人好し。きっとアラムはそこをまんまと付け込まれたんだろうけど、そんな彼の性格は悪友マーヴェリック(トーマス・ミドルディッチ)に対する柔和な態度にも表れてるよね。マーヴェリックはサンディに会うなりMILF(性的魅力のある年上女性)呼ばわりする失礼極まりない奴なんだけど。 スー:残念ながら、ああいう若い男性の方が現実味があるわ。そのマーヴェリックと対照的に、全編一貫してサンディを「中年」でも「女」でもなく「人」として尊重するのがアラム。あの態度はたじろぐよ、むしろ。サンディもサンディで、最初はアラムの前で堂々と着替えたりしてさ。若いからって男性扱いしてなかった。それが徐々に…。とは言え、あんないい男はなかなかいないわな。「いい男」っていうのは、「都合のいい男」って意味も含めてね。 高橋:まさに“理想の彼氏”なんだよね。アラムがサンディをひとりの人間として尊重していることがよくわかるボクシング観戦シーンのセリフは素晴らしかった。「人生で大切なのは人間関係。君と君の子供は僕にとって大切な人たちだ。日々の僕の暮らしを豊かにしてくれる」って。どうよ、こんなこと言われたら! スー:ラブコメ映画界の出木杉君だよ! そうそう、アラムが自分を見失うシーンがひとつもないのよね。アワアワしているのはいつもサンディ。アラムはすごいよ、サンディの妊娠騒動でさえ、あの見上げた言動! 『2番目のキス』(2005年)のベンとは大違い! …でも、アラムはサンディが見た夢だとも思うのよ。幻覚!
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高橋:出た、概念としてのアラム(笑)。そんな“理想の彼氏”アラムが意外な一面を見せるのが、サンディがこれまで溜め込んできたフラストレーションをフランクに吐き出すシーン。ニューヨークの新居に子供たちを送りにきたフランクとサンディが口論になるんだけど、たまたま居合わせたアラムがサンディの背中を押して上げることによって彼女がずっと言い出せなかった積年の怒りをぶちまける。 スー:うん。元夫に思いの丈をぶつけられたのは、とてもよかったね。あのシーンはアラムが珍しく戦闘的なんだよ。わざとふたりの間に割って入ったりしてさ。あそこからサンディとアラムのタッグチーム感が出てきたように思うわ。ここでようやく、サンディがアラムを男として尊重するようになるのよ。遅い! だが気持ちもわかる。16歳年下だもんね。だが16歳年上の女にも意地がある。大人の対応見せるよね~。 高橋:アンダーグラウンドな前衛劇団で活動しているマーヴェリックの舞台を観劇したときの機転を利かせた振る舞いなんかはまさにそう。そのあとみんなでクラブに繰り出していくんだけど、このタイミングでのアラムと妻アリスの再会の流れがまた絶妙で。 スー:うん、アリスと再会したときのアラムの対応が最高! アリスは「兄」とアラムに紹介していた男と浮気してたじゃない? だからそれを逆手にとって「シスターが待っているから」って嫌味をアリスに言って、サンディの元へ行くんだよ。あのシーンは最高に気持ちがいい! サンディも完璧に大人の対応をするし。若い子たちとのクラブ遊びにひるまなかったのも、素晴らしいと思った。 高橋:ね。ここでふたりの恋のグルーヴが最高潮に達する。 スー:間近でアレだけ肯定されると、サンディも自分に自信がつくよね! とても興味深かったのは、若者たちよりも、大人たちの方がサンディとアラムに対して心が狭いという演出。若者の方が偏見が少ないという描写がよかったな。ハッとさせられた。 高橋:アラムがサンディの友人たちとの会食に同席するシーンね。大人たちの意地の悪い挑発に対するアラムの冷静な反撃が実にスマートだった。
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スー:ね! アラムが自分の親にサンディ家族を紹介したときもそうだけど、必ずその場にひとりは理解者がいるのが素敵な設定だと思った。母親は反対してるけど、父親は静観とか、大人の集いでも「(年齢は気にせず)心の赴くままに」と言ってくれる人がいたり。何より、ふたりとも簡単にめげないのもよかった。 高橋:サンディがアラムに誕生日プレゼントとして渡した“人間トーテムポール”の写真だったり、アラムがサンディの子どもたちを寝かせつけるときの彼らへの向き合い方だったり。このへんになるとふたりのあいだに単なる恋愛感情を超えた信頼関係みたいなものが築かれつつあることがほのめかされるんだけど、残り時間がもう30分をきっていたから一体このあとどうなるんだろうと思ったら…。 スー:ね、突然のシリアスな展開。 高橋:あの局面でのサンディとアラムのやりとり、スーさんにはどう映った? 「年齢なんて関係ない」と主張するアラムに対して、サンディは「中年女には関係ある」と返していたでしょ。『ハリー・ポッター』を読んでいたアラムが「僕の読む本は幼稚すぎる?」と気に掛けたり、サンディが「旅に出て世界を見てみたいと思わない? それが若者の特権だから」と疑問を投げかけたり、年齢差を意識することによってふたりのあいだに緊張感が生まれるシーンはそれまでにもちょいちょい出てくるんだけど。 スー:当事者として、ないとは言えないかな。アラムの明るい未来を奪うんじゃないか? という不安やうしろめたさがサンディにはあったよね。でも、あのふたりはあのまま結ばれなくてよかったと思うよ。アラムが一度、ちゃんと社会に出たことには大きな意味があるし、サンディも別れを経たからこそ仕事を頑張れた。だから、結末にはとても満足。 高橋:うん。それにしても、素直にサンディのアドバイスを実行に移すアラムはどれだけできた奴なんだっていう。 スー:2021年の基準に合わせると、すべてのキャラクター描写がややステレオタイプなんだけど、今の日本だとこれくらいがちょうどいいのかも。なぜか、日本のドラマを観てる感があった。理想の多様性には程遠いけど、体感としてはこれぐらいなら受け入れられやすいというか。
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高橋:日本は10年遅れぐらいがちょうどいいのでは、という話は以前にもしたことがあったよね。 スー:そうそう。前回の『遠距離恋愛 彼女の決断』が2010年の作品で、今作は2009年。時代が大きく変わっていく過渡期に作られたラブコメ作品って面白いね。今作は手探りのところもあるし、ポリコレ的にはちょっとモザイクな部分もあるけど、非常に興味深い。 高橋:序盤に出てくるアラムの相撲レスラーの肉じゅばんとかね。ああいうのが微妙なノイズになる。 スー:あのシーンはそうだね。相撲レスラーということも、無抵抗の男性が“男”というだけで一方的にボコボコにされるという演出も今ならアウト。一方で、サンディが腹の底から感じる怒りは、2021年を生きる女性にとって大いに共感するもの。つまり、目指す正しさと現実にかなりの距離がある状態。まあ、いつでもそうだと言えばそうなんだけど。自分を更新している人ほど、ああいう乱暴な演出を見て「スカッとした」とは言えないよね。でも、怒りの感情は現実として存在する。ならば、社会が変わらないからこそ生まれる負の感情を、どこで消化したらいいのかと、ちょっと考えてしまいました。 高橋:それまで平静を装っていたサンディが「私の人生をどうしてくれるの!」と感情を爆発させるシーンだよね。ここに限らずだけど、彼女のフラストレーションが表面化するシーンの切実さがこの映画のスパイスになってるんじゃないかな。恋愛ドラマの向こうに、ちゃんと人生というスケールを意識させてくれる。 スー:疲れたときにポケーッと観てニヤニヤすることもできるし、自分のアップデート具合を確かめることもできるし、意外と隠れた名作なのかもね。日本でのドラマ化を切に希望します!

『理想の彼氏』

監督・脚本:バート・フレインドリッチ
出演:キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、ジャスティン・バーサ、アート・ガーファンクル
公開:2009年11月27日(日本)
製作:アメリカ

Photos:AFLO

ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。コラムニスト・ラジオパーソナリティ。近著に『これでもいいのだ』(中央公論新社)『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)。TBSラジオ『生活は踊る』(月~木 11時~13時)オンエア中。

高橋芳朗

東京都港区出身。音楽ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ、選曲家。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。

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