2020.11.30

プラダが作ったアディダス スーパースターは高くない?【教えて! 東京スニーカー氏 #45】

“東京スニーカー氏”ことエディターの小澤匡行がスニーカーにまつわるギモンに答える月イチ連載。今回はハイブランドが生み出すアイテムについて。

プラダが作ったアディダス スーパースターの画像_1
プラダが作ったアディダス スーパースターの画像_2

昨年に発売された第1弾は真っ白でしたが、第2弾でオリジナル風のカラーが登場。イタリア製のフルグレインレザーは、多くの高級靴と同じく最初は革が硬くて馴染みにくいですが、履き続けて柔らかくなるのが楽しみ。あとは両者のロゴが並んだシュータンのデザインが好きです。ぜひおしゃれなヒップホップ好きに履いてほしい。



ルイ・ヴィトンのメンズ アーティスティックディレクターに就任したヴァージル・アブロー一派の活躍ぶりを見ていると、いつもヒップホップ文化のネットワークや熱量が時代を動かしてきたな、と思います。スニーカーにおいてアディダス オリジナルスのスーパースターは、自ら(ブランド側)の思惑とは違う、外的な文化がシューズの価値をつくり出してきました。今年で50歳を迎えたまさにアディダスの象徴ですが、ここまでカルチャーの引力がなかったら同時代に生まれたあまたある「3本線の入ったアディダスのコートシューズ」の一つだったかもしれません。

1970年当時、NBAのコートにはコンバースやケッズの布製のバスケットシューズしかありませんでした。耐久性に難のあるキャンバスでは、大柄な選手のスピーディな動きを支え切れず、ケガに悩まされる選手が多かったそう。そんなときにスーパースターは初の革製バスケットシューズとして登場しました。アメリカ人にとってアディダスは技術革新の国ドイツからの舶来物で、大きな信頼を抱いていたよう。その履き心地をNBAのスターだったカリーム・アブドゥル=ジャバーは「足に3本線がプリントしてあるようだ」と形容するほど、そのフィットに感動したのでしょう。ハイテクな靴に慣れすぎた現代の私たちには、ちょっと想像がつきませんね。

その頃、コートを支配していたのは黒人プレーヤーばかり。だからブロンクスのスラム街を闊歩する黒人のストリートキッズにとって、彼らは憧れの的でした。キラキラと輝くスターたちが履くスーパースターは、絶対に欲しい高嶺の花だったのです。その後、このモデルがRUN-DMCによってヒップホップの象徴となったのは皆さんもご存じのとおり。ちなみに、彼らがシューレースを通さずにスーパースターを履いていた背景には、理由がちゃんとありました。まず面倒くさいこと。そしてフィットに優れていたこと。また刑務所の中では凶器になりえる靴ひもは、すべて没収の対象でした。囚人たちにとってひもがなくても快適な唯一のシューズだったのです。彼らもジャバーと同じようにアディダスの高いクオリティを肌で感じていたのでしょう。

カルチャーに育まれたヒップホップの成功の象徴を、プラダのシューズ製作者がイタリアの工場で作ったのが“プラダ フォー アディダス”です。こちらは第2弾ですが、販売価格は7万円強。人によって価値観はそれぞれですが「安くはないけど高すぎることはない」が僕の見解。このモデルはスニーカーの姿をした革靴、もしくはアクセサリーみたいなもの。すべてのスニーカーにとってラグジュアリーであることが最上の賛辞ではないですが、プラダが作ったスーパースターは、ヒップホップ好きにとって最高のラグジュアリーでは? 僕なら全身をモードに固めるより、ジャージーの足元に合わせてオールドスクールに履きこなしてリッチに見せたいです。

小澤匡行プロフィール画像
小澤匡行
「足元ばかり見ていては欲しい靴は見えてこない」が信条。スニーカー好きが高じて『東京スニーカー史』(立東舎)を上梓。靴のサイズは28.5㎝。

Illustration:Yoshifumi Takeda
Photos,Composition&Text:Masayuki Ozawa

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