最近バリエーションが増えている、三本線入りのローファー型スニーカー。adidasは時代に合わせてシューズの文脈をスパッと変えて提案できる潔さがあるし、そのアウトプットのセンスがいいから、長くトレンドを牽引できています。黒レザーのソフトな質感もいい具合にスニーカー感があり、フラットな薄底で履き心地もなかなか。/私物
スニーカーの事実と真実の違いは?
スニーカー史は、真実と事実の二つによって成り立っています。僕が10年前に書いた『東京スニーカー史』は60人以上の業界関係者に、各人にとっての事実を取材し、時系列でまとめながら一つの真実をつくりました。しかしそれは、僕が都合よく解釈したストーリーであって、スニーカー業界の真実ではないかもしれません。昨今、スポーツメーカーはStorytellingというマーケティングに注力しています。それは人によっては「自分にとっての事実」とは異なって違和感を覚えることもある。もし世界を広く見渡せば、セールス的には成功したシューズでも、僕の地元のスポーツ店でセール品になっていれば、僕の歴史はそれが事実になる。つまり正しい事実がすべて真実になるとは限らないし、真実はあくまで物語であり、事実でないこともある、ということを考えながら原稿を書かなければ、という使命感をもち続けたいです。
映画『Michael/マイケル』を観に行きました。マイケル・ジャクソンが1980年代前半に、SUZUKIの原付のCMで、当時ディスコ靴として人気だったNIKEのナイトトラックを履いていたのは、スニーカーマニアには知られた事実です。しかしこの映画ではマイケルが人前に出ることのないプライベートで愛用していたadidasを着用するシーンが何回かありました。おそらくそれは「ジャバー」のローカットです。子どもの頃、まだジャクソン5名義だった時代に「ガゼル」を履いていた写真もあるくらい、マイケルはアディダス党だったと解釈できますが、全米を代表するスターに出会うほど、’70年代半ばのNIKEは大きな会社ではなかっただけ、ともいえます。ちなみに最も有名な足元といえば、E.G.スミスのルーズソックスとフローシャイムの黒いローファーの組み合わせ。’90年代の女子高生にとっては、スタイルを先取りした偉大なるギャル祖です。確かにあのスムーズなムーンウォークには、グリップのきいたバッシュやランニングシューズは不要で、滑りやすいレザーソールが向いている。その後、彼の踊りを真似したくなる全米のムードがダンスやエアロビブームと文化的な相乗効果をもたらし、1989年には設立わずか10年弱にして、一世を風靡したL.A.ギアというフィットネスメーカーとマイケルはシューズ契約をしました。彼が宣伝するスニーカーを100万人が買うことなど、何も不思議ではないと強気なもくろみを立てていたものの、シューズは思ったほど売れませんでした。
事実だけを並べれば、時代ごとにマイケルが履いていたシューズは違う。しかし本作を観た多くの人が記憶するのは、adidasと黒いローファーだけ。この二つの事実をうまく編集すれば、最近多いローファー型の「サンバ」や「ハンドボール」が魅力的に映せるかもしれない。憧れや誰かの勘違いがカルチャーになるなら、僕は世の中に散らばった事実にも誠実であり続けたい。それが少なくともこの連載で守りたいスタンスでもあります。
「足元ばかり見ていては欲しい靴は見えてこない」が信条。近著に『1995年のエア マックス』(中央公論新書)。スニーカーサイズは28.5㎝。