
料理人・文筆家であり、「ナチュラルボーン食いしん坊」を自称する稲田俊輔さんが、日本各地の「麺」文化の奥深さを熱烈な愛とともに綴る。飽くなき探求心で、未知の「麺」のウマさを発見!

鹿児島県生まれ。料理人・文筆家として活躍。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。『異国の味』『食いしん坊のお悩み相談』など著書多数。本誌では連載「稲田俊輔のうまいものだらけ」を担当。
昭和のある頃まで、日本ではスパゲッティと言えば、主に「ナポリタン」でした。それ以外はせいぜいミートソースくらい、という原始的な時代です。その後日本には、イタリアから本場風のスパゲッティがやってきました。ペペロンチーノやカルボナーラなどのそれらは、スパゲッティではなく「パスタ」と呼ばれるようになり、平成以降、ナポリタンを押し退けて一気に主流となりました。
このように日本のパスタ史においては、かつての「ナポリタン時代」から今に続く「本場風パスタの時代」への移行があった、というのが現代における一般的な時代認識です。しかし僕は、この二つの時代の間に「ハザマの時代」があったと考えています。ナポリタンしか知らなかった日本人が本場風のパスタに慣れ親しむまでの過渡期とも言えます。そこでは、イタリアからの影響はうっすら受けているものの、本場風とまでは言い難い様々なスパゲッティが誕生しました。僕はそれらを「ハザマのスパゲッティ」と呼んでいます。
僕は本場風のパスタも大好きですが、この「ハザマのスパゲッティ」には、言い知れぬロマンを感じます。そこには過渡期ならではのアグレッシヴな試行錯誤があり、日本にしかない、そしてそのお店にしかない、もうこれから新たには生まれることがないであろう貴重な文化が息づいているからです。
10年くらい前でしょうか、僕は群馬県高崎市に、独特なパスタ文化が根付いていることを知りました。メディアから伝わってくる情報から推察するに、それはまさにこの「ハザマのスパゲッティ」が、この地独特のスタイルで定着・進化してきたもののようでした。一度現地を訪れねばならぬ。そう思い続けて今に至ってしまいました。高崎市は東京からそう遠くはなく、その気になればいつでも行けると思いつつ、実際に行こうとなると気軽に行けるほど近くもない。実はこの絶妙な距離感も、この地に独特のパスタ文化が醸成された理由の一つなのではないかとも思っているのですが、何しろ僕はその距離感ゆえにずっと行きそびれてしまっていたということになります。今回僕は、ようやく重い腰をあげ、この地を代表するとも言える3軒の老舗を巡ってきました。
シャンゴ

1968年創業で、高崎にパスタ文化をもたらした元祖の店と言われています。実際高崎には、この店で修業した職人さんが開いたパスタ屋さんが数多くあり、まさに始祖というべき店です。この店のシグネチャーというべきメニューが「シャンゴ風」。簡単に説明すると、濃厚なミートソースにロースカツが加わったボリュームたっぷりのスパゲッティです。メディアで高崎パスタが取り上げられる時は真っ先にピックアップされるメニューであり、ある意味高崎パスタの象徴ともなっている名物メニュー。
これは「ハザマのスパゲッティ」というよりむしろ、その前のナポリタン時代の延長線上にあるような印象の一皿です。だから僕は、このシャンゴという店に、昭和の匂いを色濃く残す老舗、のようなイメージを持って訪問しました。しかし実際に店を訪れ、メニューを開いた瞬間、そのイメージはある意味覆されました。そこには確かにシャンゴ風やスープスパゲッティなどのレトロなメニューもありましたが、全体としては実は平成以降の現代的なパスタ屋さんとさほど温度差の無いものが主だったのです。実際、この日いただいたもうひとつのシグネチャーメニュー、唐辛子をしっかり効かせたトマトベースのシーフードパスタである「ベスビオ」は、まさに現代的なイタリア料理専門店の味わいでした。
僕は半ば混乱したまま、創業者関㟢省一郎氏のご子息でもある現社長・晴五さんに、そのあたりのお話を伺いました。
創業時のシャンゴは、最初からイタリア料理を標榜しつつ、今とは違う方向性の店だったようです。少し専門的な話になりますが、当時の日本のイタリア料理店は、イタリアそのものと言うよりはアメリカでアレンジされたアメリカンイタリアンの影響を強く受けていました。それが従来の日本洋食とミックスされたのが当時主流の日本のイタリアン。ちなみに皆さまよくご存知のサイゼリヤも、創業当時はそういうお店でした。
しかし、東京やイタリアでの修業を経て高崎に戻ってきた晴五さんは、それに納得がいきませんでした。
「いつまでこんな古臭いことをやっているんだ、と。麺もそれまでは前日からの茹で置きだったのを、茹でたてのアルデンテで提供することにしました」
しかしこれは、結論から言うと失敗でした。あっという間にお客さんが離れていってしまったのです。晴五さんが慌ててレシピを元に戻すと、お客さんはすぐまた戻ってきてくれたのだとか。
その後、日本に本場風のイタリアンが浸透していく流れを冷静に見極めて、晴五さんは徐々にそれを取り入れていきました。しかし、晴五さんは「変えてはならないものもある」と気付いたとも言います。だから、数あるパスタメニューの中で、シャンゴ風やスープスパゲッティなどは今でも前日に茹でてじっくり寝かせた麺が使われますし、ピザはあくまでアメリカンピザ。そしてグラタンなど洋食的なメニューもしっかり残しています。つまりシャンゴでは、この50年以上にわたる日本のイタリア料理の歴史が、モザイク状に積み上がっているのです。
おそらくお客さんたちは、そんなことはあまり気に留めることもなく、その全てを「シャンゴの味」として愛していることでしょう。お客さんの年齢層は驚くほど幅広く、家族連れも多い。それをしっかりと優しく受け止める懐の深さこそが、歴史の中で培われたシャンゴの魅力です。

シャンゴ 問屋町本店
群馬県高崎市問屋町1-10-24
TEL:0120-615269
営業時間:11時~21時(L.O.)
定休日:月曜、第2・第4火曜 ※祝日の場合は営業
ボンジョルノ

まず驚いたのは、その建物でした。国道沿いにいきなり現れる、プロヴァンスあたりの教会を思わせるような赤い鋭角的な三角屋根とステンドグラス風の窓はあまりにも印象的で、(薄っぺらい言い方で恐縮ですが)とにかく「おしゃれ」なんです。
高崎パスタは、メディアにおいてはとかく「レトロ」「デカ盛り」「B級」といった側面がクローズアップされがちですが、僕はそれは高崎パスタのほんの一面に過ぎないのではないか、と予想していました。今回の食旅の目的のひとつは、そのことを確認したい、というものでもありました。シャンゴの味やメニューで、自分の予想の正しさは証明されつつあった気もしていましたが、ボンジョルノの外観を見た瞬間、それは確信に変わりました。
ボンジョルノは、岡田隆治さんが1982年に創業したお店です。高崎パスタに特徴的なメニューとしては、濃厚なミートソースと並んでスープスタイルのパスタが挙げられることも多いのですが、元々はあくまでメニューの一角だったそれを、むしろメイン的に位置付けているのがこの店です。
おしゃれな外観に続いて僕が衝撃を受けたのが、ここの麺のすばらしさでした。茹で加減がバチッときまったアルデンテなのはもちろんのこと、微かにざらつくような食感が穀物そのもののおいしさを感じさせる上、スープ状のソースに浸った状態でもいっこうにのびないのです。このありそうでなかなかないおいしさの秘密は、麺そのものが高タンパクだからなのだとか。
ここでいただいた「ハーブ豚のカッチョジョーネ」が、とにかく絶品!でした。正直僕はこのメニューに疑いも抱いていました。これは高崎で毎年行われている「キングオブパスタ」というコンテストのグランプリ作品でもあります。僕は最初、「コンテストで勝ちを取りに行くための単なる創作料理」というイメージを抱いていたのです。
……すみませんでした。土下座して謝りたい気持ちです。クリームソースは当店の伝家の宝刀とでも言うべき、さらりとしたスープ状。しかしその味わい自体は、ポルチーニが馥郁と香る極めてオーセンティックな正統派イタリアン。さらにトッピングされるのは丁寧に仕込まれたことがすぐにわかる昭和洋食的な煮込み料理。それが最高の麺と一体化した時、そこにはミラクルが生まれます。
もちろんそれは、本場イタリアでは絶対有り得ない料理です。しかしそこには店の歴史が詰まっています。単に詰まっているだけではなく、ひたすら「向上」を目指し続けた到達点のひとつが、この一皿に凝縮しているのです。

ボンジョルノ 本店
群馬県高崎市筑縄町50-1
TEL:027-362-7722
営業時間:11時~21時(L.O.)
定休日:木曜、第2・第4水曜 ※祝日の場合は営業
デルムンド

創業者の高橋康夫さんはシャンゴの出身者ですが、結婚式場のフランス料理部門で働いていた経歴もあります。出自の店をリスペクトしつつ、同じことをやっても意味無いよね、と言わんばかりに、自分にしかできないことを探究し続けてきた、そんな切磋琢磨が高崎パスタを発展させてきたのではないかと思います。高橋さんならではの味には、確かにどこかレストランを彷彿とさせる、品格や矜持のようなものを感じます。
当店のスペシャリテである「ハンブルジョワ」は、パスタの上に大きなハンバーグをのせてミートソースで仕上げた、いかにもパワフルかつキャッチーな一皿。しかし実際に食べると、素材感で真っ向勝負したハンバーグといい、濃厚ながらもキレのあるミートソースといい、これは明らかに古き良きエレガントな西洋料理の味わいです。

常連さんに人気という「ボンゴレ」もいただきました。一般的なイタリアンのボンゴレとは全く異なる一品です。高崎らしいスープスタイルに、アサリの剝き身とそのアサリに負けない存在感のベーコン(このベーコンが、なぜ?というくらい高品質でした)の、いわばダブルスープ的な旨味が溶け込んだ、まさにいにしえの職人技を感じさせるものでした。
昭和の面影を今に残す、という意味では、今回最も純粋な「ハザマのスパゲッティ」だったかもしれません。しかし今でも現役でこのカウンター9席のお店に立ち続ける高橋さんご夫妻は、これまで常に工夫に工夫を重ねて改良し続けてきた、と言います。小さな個人店だからこそ、「思い立ったら即」とばかりに、柔軟にそれを続けてくることができたということなのでしょう。
高崎パスタは、今回たった3店舗を巡っただけでも、それぞれが確かに「高崎らしさ」とでも言うべき共通の要素を持ちつつも、それぞれのやり方で常にアップデートを繰り返してきたということがよくわかりました。
「安い」「量が多い」「懐かしい」、それは確かに高崎パスタに共通する尊さではありますが、それは高崎パスタの魅力の、ほんの一部に過ぎません。ぜひ実際にこの地を訪れて、ここにしかない食文化がこの地で発展してきた軌跡と奇跡を存分に味わってみてください。

デルムンド
群馬県高崎市通町141-3
TEL:027-325-2314
営業時間:11時30分~14時
定休日:水曜 ※売り切れ次第営業終了