2025.06.05
最終更新日:2025.06.05

【稲田俊輔のニッポン偏愛「麺」紀行 |PART.2 名古屋特殊麺】味噌煮込みうどんからあんかけスパゲッティまで。麺文化も独自に進化

【稲田俊輔のニッポン偏愛「麺」紀行 |PART.2 名古屋特殊麺】味噌煮込みうどんからあんかけスパゲッティまで。麺文化も独自に進化

料理人・文筆家であり、「ナチュラルボーン食いしん坊」を自称する稲田俊輔さんが、日本各地の「麺」文化の奥深さを熱烈な愛とともに綴る。飽くなき探求心で、未知の「麺」のウマさを発見!

稲田俊輔プロフィール画像
稲田俊輔

鹿児島県生まれ。料理人・文筆家として活躍。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。『異国の味』『食いしん坊のお悩み相談』など著書多数。本誌では連載「稲田俊輔のうまいものだらけ」を担当。

麺文化も独自の進化を遂げている!

麺 イラスト

 最近では「名古屋めし」というワードもすっかり定着し、その独特すぎる食文化を全国に知らしめている名古屋。その中でも麺類には、特に際立った特徴を持つものが多いと感じています。

 名古屋独特の麺文化として、まず思い浮かぶのが「味噌煮込みうどん」。うどんという名が付いていながら、普通のうどんを想像して食べ始めると、確実に面食らうはずです。まず驚くのは麺の硬さ。いわゆる「コシ」というものともまた違います。通常のうどんは、小麦粉に水と塩を加えて練ることでグルテンの網が形成され、その弾力がコシとなります。しかし味噌煮込みうどんの麺は塩を使わずに作られるので、そもそもグルテンが生まれない。その麺を八丁味噌のつゆの中で生から直に煮込んだものが味噌煮込みうどんです。そのムギュッとしつつも歯を押し返さない純粋な硬さは他のどんなうどんにも無いもので、人によっては「生煮えなのではないか」という疑念を抱かせるほどのものなのですが、これこそがこの麺の魅力です。

 それを煮込むつゆもまた特徴的です。名古屋の赤味噌料理は、味噌カツやどて煮に代表されるように、たっぷりと甘さを加えた濃厚な味わいに仕立てられることが多いのですが、こと味噌煮込みうどんに関しては、甘味はほぼありません。なので八丁味噌ならではの深みのある苦味や酸味がストレートにやってきます。それを引き立てるのが贅沢に引いた節系のだし。そんなリッチかつソリッドな味わいこそが、味噌煮込みうどんの真価です。

 麺をつゆの中で煮込むので、そのつゆには小麦粉の自然なとろみも溶け込みます。味のソリッドさゆえ、慣れないうちはしょっぱいと感じるかもしれませんが、実は塩分の実測値は一般的なうどんよりむしろ低いくらいです。なので最後まで夢中で食べられてしまう。だから、味噌煮込みうどんのつゆを残す人なんて誰もいません。

 この特異点的なおいしさを最初に味わうなら、まずは便利な場所に店舗も多い〔山本屋本店〕をお勧めします。味噌煮込みうどんならではのエッジーな魅力を、全く丸めることなく長年提供し続けている、まさに老舗ならではの媚びない良さが詰まった名店です。

「きしめん」に関しては、名古屋駅新幹線ホームのきしめんがあまりにも有名です。確かに抜群においしい。ただしあくまで個人的な感覚で言うと、あれは「きしめん」という麺を使った、すこぶるおいしい「うどん」です。だからこそ全国どこから来た人にとっても文句なくおいしい。そこに価値があります。しかしきしめんという料理にしか無いおいしさを味わいたければ、やはり駅から離れる必要があります。

 オーセンティックなきしめんを提供する店の見分け方のひとつが、「赤つゆ」「白つゆ」という2種類のつゆを用意している店です。それぞれ、関東の蕎麦つゆ文化・関西のうどんつゆ文化と微妙に隣接しており、まさにその中間にあるこの地方ならではの食文化を象徴しているのですが、隣接しつつも、それらとは全く違うと言ってもいい味わいです。

 僕が特に推したいのは「赤つゆ」の方です。赤つゆというのは、真っ黒と言っていいくらい濃い色のつゆなのですが、この色はたまり醬油によるもの。そのコクや酸味の深い味わいと、ムロアジやサバなどもブレンドされた力強いだしのガツンとくるハーモニーは、どこか味噌煮込みうどんにも通じるものがあります。ただしそういう昔ながらのきしめん屋さんは、昨今かなり失われつつもあります。残存する店も、古くからの商店街なんかで、地元の常連さんたちの憩いの場としてあくまでひっそりと営まれているもの。ですが、栄の〔四代目一八〕であれば、そんな古き良ききしめんを、街中で気軽に味わうことができます。

 名古屋の特殊麺において、僕が最も愛していると言っても過言ではないのが「あんかけスパゲッティ」です。これは、前ページで語った「ハザマのスパゲッティ」の中でも、ごく初期に生まれたものであり、そういう意味では「高崎パスタ」の立ち位置とも若干通じる部分があります。そのあたりを解説し始めるとこの企画の全てのページが埋まってしまいかねないので、あえてかいつまんで説明するならば、あんかけスパゲッティを生み出したのは、ホテルレストランのフランス料理シェフです。広範なスキルを極めたフランス料理シェフが、そのレパートリーの中から当時の「イタリア〝風〟料理」を抽出し、改良に改良を加えたものがこの料理。

 現代においてあんかけスパゲッティは(高崎パスタと同様に)、とかく「レトロ」「デカ盛り」「B級」といった文脈で語られがちですが、そんな生易しい代物ではない、ということだけはお伝えしておきましょう。このあたりもまた話し始めるとキリがないので、まずは体験してみてください。その時に「イタリアン」「パスタ」といった概念は、脳内から完全に消去して臨んでください。そうすれば、この地にしかない、日本洋食文化のひとつの極みが堪能できるはずです。

 お店をあえてひとつ選ぶなら、この文化の始祖とも言える〔スパゲッティ・ハウス ヨコイ〕を。ここもまた、老舗こそが一番エッジーという、ローカルグルメに共通な尊さを知らしめてくれる名店です。

 最後に、全国的にはまだほとんど知られていない特殊麺をご紹介しましょう。それが「名古屋式汁無し担担麺」です。ただしこの名称は、僕が勝手に命名したものです。そしてこれは、少なくとも今のところ名古屋めしでもありません。なぜそうではないかと言うと、提供しているいくつかのお店は、これを名古屋めしとして売り出す気がさらさら無さそうだからです。

 しかしこれは、真に価値ある「ご当地グルメ」であることは確かです。何せ他に似たものがない。本場四川の担担麺とは完全に別物ですし、日本の一般的な汁無し担担麺とも明らかに違います。きしめんにも似た平打ち麺に常軌を逸した濃厚なタレが絡む、あまりにもエクストリームなそのおいしさを一言で言い表すならば「中毒性」です。ある意味、あんかけスパを超える中毒性があり、僕はこれを食べるたびに、その後小一時間はぼうっとした夢うつつな気分になります。いったい俺は何を食わされたんだ、という混乱の中、気付けばもう一度食べたくなっています。

 このためだけにわざわざ名古屋を訪れたくなる覚悟があるならば、まずはその始祖からの直系でもある〔來杏〕を訪れてみてください。

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