博覧強記の料理人・稲田俊輔が、誰もが食べることができながら真の魅力に気づけていない、「どこにでもある美味」を語り尽くす。
第3回|熾烈な焼きそば論争で「塩焼きそば」を擁護する
例えば何人かの人が集まった場所で、「焼きそば」の話題になったとします。場所は会議室とかではなく、そうですね、居酒屋とかそういう場所です。そこで必ず出てくるのは、「お祭りの屋台とかの、ああいう安っぽい焼きそばがなんかおいしいんだよね」という意見です。それに対して「具はあんまり入ってない方がむしろいいよね」「キャベツがちょろっと、あとは紅生姜で充分」「鉄板の端に寄せられてちょっと乾燥してるくらいのヤツがいいんだよ」など、場はおおいに盛り上がります。
あるいは、焼きそばをおかずにご飯を食べられるか、みたいな話題も必ず出てきます。「目玉焼きがのってたらOK」とか、「肉がそれなりに入ってればなんとか」とか、「そもそも炭水化物に炭水化物はおかしい」みたいな意見が入り乱れる中で、関西人は「食べられへん方がおかしいわ」、名古屋人は「その場合マヨネーズは必須だぎゃ」などと訳のわからない主張を始め、これまたいい意味で盛り上がります。
皆さんもこれまで、何度となくそんなセッションに参加してきたのではないでしょうか。もちろん僕もそうです。しかしその度に僕は、心に秘めてきた、いや、秘めてこざるを得なかった思いがあります。それはこういうものです。
「お前らなんで焼きそばと言えばいつだってソース焼きそばを前提に話を進めるんだよ!」
ソース焼きそばは確かにおいしい。他に似た食べ物のない、唯一無二の存在です。そして、世の中にまずいソース焼きそばというものはほぼ存在しない。お祭りの屋台という、普通に考えたら最も味そのものには拘らないような場所のそれが頂点に君臨していることからも、それは明らかです。味付けはほぼソースのみで完結するので、料理に不慣れな人が作っても、とりあえずなんとかなります。
しかし、だ。焼きそばの話題で盛り上がる時、みんな忘れているのではないか。塩焼きそばのことを。僕はいつも心の中でそう思っているのです。どうしてもソース焼きそばを話題にしたいと言うならそれも良かろう。しかしせめてそれのことは「ソース焼きそば」と呼んでほしい。焼きそばと言えばソース焼きそばのことである、という暗黙の前提で話を進めるのは、あまりにも横暴なのではないか。僕はいつもそう思っているのですが、なかなか口には出せません。僕はこんなにも塩焼きそばを愛しているのに。
皆がソース焼きそばの話で盛り上がっている時に突如塩焼きそばの話題を切り出すのは、盛り上がっている場に水をさすようで憚られます。しかし話題に出しづらい理由はもうひとつあります。それは現代において「塩」が持つ特殊な文脈。
焼き鳥でも焼肉でも、タレでなく塩で、というのはなんとなく偉いと看做されがちです。それは言うなれば「通」の証しであり、「素材そのものの良さを味わう」という理屈で常に正当化されます。そこに対する反論は極めて困難であるため、人々はそれを受け入れざるを得ないわけですが、多くの人は実のところそれに苛立っています。平成の時代であれば人々はその苛立ちは心に秘めるしかなかったのですが、時代は変わります。令和の今において、塩の優位性を主張する行為は、滑稽な権威主義とも指摘されかねません。
そんな時代において、「焼きそばはやっぱり塩だね」なんて堂々と主張できるでしょうか。「あいつはグルメ気取りだ」「気取ったいけすかない野郎だ」そんな評定を受けるのはたまったものではありません。セッションメンバーが優しい人たちであれば、その主張はなんとなくやり過ごして、話題は焼きそばから全く別のもの、例えば「LUUPは今後どうなるのか」みたいな少し真面目な話に移行したりしてくれるでしょう。でも居酒屋を出た時に、コミュ力最強イケメンの同僚は、僕にそっと忠告してくれます。
「ああいうタイミングで塩焼きそばの話題を出すなんて、今後はやめておいた方がいいぜ」
塩焼きそばは、居酒屋や町中華などの飲食店ではあまり登場しません。だからいつまで経ってもマイナーなままなのですが、だったら自分で作ればいいのです。
塩焼きそばはソース焼きそばとは完全に別の料理です。まずは大量の野菜を用意してください。一人前最低200g、できたら300g欲しいところです。200gの野菜がどれくらいの量かと言うと、もやし1袋が200gなので、極論、野菜はそのもやし1袋だけでもOKです。豚肉も欲しいです。なぜかチクワもいい仕事をします。両方入るに越したことはありませんが、なんならチクワだけでもOKです。
それを適当に炒めます。適当でもいい、のではなく、適当な方がいいです。なぜならば適当に炒めると、野菜から水分が出てきてベシャベシャになるからです。そのベシャベシャを、焼きそばの麺に吸わせるようにしてさらに炒めます。味付けはもちろん塩ですが、味の素でもなんでも足しても構いません。食べ始めて味付けに失敗したなと思ったら、ソースをかければ解決です。だったらやっぱり最初からソース焼きそばにすれば良かったのでは、と思うかもしれませんが、それを言っちゃあおしまいです。

料理人・文筆家。「エリックサウス」総料理長を務めながら、さまざまな食エッセイを執筆。近著に『食の本 ある料理人の読書録』(集英社)などがある。