2025.11.21
最終更新日:2025.11.21

肉まん史におけるセカンド・インパクト、551の出現【稲田俊輔のうまいものだらけ|第8回】

博覧強記の料理人・稲田俊輔が、誰もが食べることができながら真の魅力に気づけていない、「どこにでもある美味」を語り尽くす。

第8回|肉まん史におけるセカンド・インパクト、551の出現

 肉まんを初めて食べた日のことを憶えていますか? おそらくですがこれを読んでいる多くの人にとって、コンビニは物心付いた頃には当たり前のように近所にあって、そこでは冬になると必ず中華まんが売られていたことでしょう。初めて食べたのがいつだったかなんて憶えていないよ、という方が多いのではないでしょうか。

 しかし僕が子どもの頃は、住んでいたのが田舎だったこともあり、まだコンビニは一般的ではありませんでした。肉まんを初めて食べたのは、忘れもしない、小学4年生の時でした。40数年前ということになります。

 当時僕は、親に言われるがままに、塾通いを始めていました。肉まんというものに初めて出会った場所は、塾に通う道すがらの小さな食料品店です。その店では生鮮食料品以外のちょっとした食材や調味料、そしてパンやお菓子などが売られていましたが、今ではそういう店もすっかりコンビニに取って代わられてしまいましたね。

 秋も深まったある日、その店の店頭には、見慣れない機械が置かれました。白い筐体の上に重ねられたガラス張りの棚の中には、白い饅頭が整然と並んでおり、筐体の前面には、丸っこい文字で「肉まん・あんまん」と書かれていました。「井村屋」の文字もあったような気がします。

 この機械の正式名称を僕は知らないのですが(誰も知らない気もしますが)、吉田戦車氏は連作短編集『一生懸命機械』の中で「まん暖器」と命名していましたので、僕もそれに倣おうと思います。少なくともこれを「スチーマー」などという無味乾燥な名称で呼びたくはありません。あれは実に頼もしく、そして愛嬌のある機械です。

 僕は吸い寄せられるように店に入り、肉まんを買いました。60円くらいだったでしょうか、小学生でもさほど躊躇なく出せる金額でした。

 肉まんはふわふわでしたが、部分的に少しべっちょりもしていました。まん暖器の性能が今ほど良くなかったのでしょうか。もしくはまん暖器の運用マニュアルがまだ完全に確立されておらず、その肉まんは長時間保温されっぱなしになっていたということだったのかもしれません。

 熱々の肉まんからは、いかにもおいしそうな「ザ・中華」の匂いがムンムンと立ち上りましたが、そこにはほんの僅かですが、溶けたプラスチックかセメダインのような匂いも混ざっていました。店のおばさんがクルクルと器用に包んでくれたビニール袋が、肉まんで熱せられて放つ匂いだったのではなかったかと思います。「まん袋」もまた当時、進化の途上にあったということでしょう。

 しかし、べっちょりもプラスチック臭も、大した問題ではありません。ホカホカの肉まんにかぶりついた僕は、その瞬間、多幸感に満たされました。「肉まん」という割には、肉の存在感は極めて希薄で、主成分はむしろタケノコのようでした。しかしそれもまた、本質的な問題ではありません。ホカホカでしょっぱくて濃い味、それだけでその食べ物は完璧で、僕は感動しました。

 この時の出会いが僕の肉まん史におけるファースト・インパクトだったとするならば、セカンド・インパクトはそれから更に約10年後に訪れました。数字で構成された奇妙な店名の、その店の肉まん……正確には「豚まん」との出会いは、僕にとっての肉まんという食べ物の概念、その全てを一瞬で塗り替えてしまったのです。そう、551蓬莱の豚まんです。

 551の豚まんは、とにかく頼もしい。その大ぶりなサイズもさることながら、それを手にした際の、予想を上まわるずっしり感には感動すら覚えます。それは言うなれば密度の豚まん。世の中の大抵の肉まんは、ひたすらにふわふわが目指されますが、551はそんな世間の風潮など意にも介しません。皮はあくまでみっしり、それでいてほの甘く、最初の一口から押し付けがましいまでの愛が伝わってきます。

 ただし、551の真骨頂は二口目からです。そう、二口目からいよいよ本格的に肉あんに相対することになるからです。こちらもやはり密度が鍵です。タケノコばかりの中から肉を捜索する必要なんてありません。それはむしろ肉の塊です。分け入っても分け入っても肉。そこだけを取り出したらハンバーグとしても自立する勢いで肉です。控えめにそれを下支えする玉ねぎの甘みが甘い皮との仲を取りもち、肉のキッパリとした塩味とほのかな生姜の風味を包み込んで、そこには悩ましいまでに豊満なおいしさがドクドクと溢れ出します。

 僕には密かな願望があります。551のカレーまんとピザまんが食べたい。世のカレーまんやピザまんには、これまでなぜか微妙に期待感を裏切られ続けてきたような気がします。551であればきっとそんなことは起こらないはず、という確信があります。

 551師匠ご自身はきっと、そのようなコンビニ的軽佻浮薄の芸風は好まないかもしれませんが、ファンとしてはそんな師匠の一面も死ぬまでに一度拝んでみたい。この駄文が、いつか師匠の目に留まることを熱望して止みません。

肉まん史におけるセカンド・インパクト、551の出現
絵・吉田戦車
稲田俊輔

料理人・文筆家。「エリックサウス」総料理長を務めながら、さまざまな食エッセイを執筆。近著に『食の本 ある料理人の読書録』(集英社)や『ベジ道楽』(西東社)などがある。

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