私には普段、大事に思っているアイテムが二つある。ともに自分らしい着こなしをするうえで必要なもので、それは、もう二度と手に入らないものと、どこでも買い足すことができるもの。
一つ目は、現在はもう店頭に並んでいないという「goro’s」のバッグ。私の宝物である。金メタルの施されたシルバーコーンもフリンジも、すべてがお気に入り。
goro’sが不動の人気である理由を私ごときが今さら語る必要はないだろうが、私がこのブランドにずっと魅了されているのは、その精神。裏原宿で働き始めた頃から食にかかわる仕事をしている現在までのgoro’s Familyの方たちの“生涯をかけて大切な人を想う気持ちや名作を守り続ける絆の強さ”にずっと惹かれているのである。ちなみに、お財布もgoro’s。バッグと財布に関しては不思議と、ほかのブランドのものを欲しいと思ったことがあまりない。
二つ目は、「UNIQLO」のエクストラファインメリノリブタートルネックセーター。goro’sとは対極にあるアイテムだ。もう何枚購入したかわからない。外出先で「今日は寒い…」と買い足してみたり、うっかり油断して洗濯し、ほかの洋服から色移りさせてダメにしてしまったり。子育て全盛期には、ドーナツでベトベトの手で触られたり、鼻水をこすりつけられたり。でも、いつでも買い換えることができるから安心だ。
25年以上前に社会人となり、初給料を注ぎ込んで購入した「Maison Martin Margiela」のシンプルなウールカーディガンや、「ARTS&SCIENCE」のカットソーも、子どもたちが育っていくように、若い時代をともに過ごしてきているから愛着がある。ボタンホールも甘くなり、はだけっぱなしの穴だらけ。だけど不思議と恥ずかしさはない。もはや、いつのものなのかわからないものばかりだけど、“値段ではなく自分の中でどのような存在であるか”が私の物差しである。
洋服であろうが食事であろうが、そこに情熱がどれだけ注がれているかが私にとっては重要だ。素敵な女性…と言えばハイブランドの上品なバッグや財布を持つことが大人の嗜みだろう。だけど、何がよいか悪いかは自分次第。他人が決めることでもなく、高価か安価かでもない。持つ理由を自分が理解してさえいればいいのだ。このバッグは、これまでの人生で苦楽をともにし、いつも私を見守ってきてくれた存在。このしっかり編み込まれたショルダーの革ひものように、そう簡単にはへこたれない人でいたい。
写真・文/島とも(ケータリング「TOMO」)
ケータリング業。正直言って、保存料の入った弁当なんか食べたくない。でも撮影現場に出てくる弁当なんてほとんど例外なく入っているし、大量生産のものばかりで時代とまったく合っていない。でも僕らの撮影なんて4、5人しかいないのだから、もっと職人的で手仕事の入ったものがいい。それが彼女の作る弁当。