2025.10.25
最終更新日:2025.10.25

政治哲学者は、「政治」から距離を置くべきか?【飲み会で使える! ポピュラー哲学講座|谷川嘉浩】

第18回|政治哲学者は、「政治」から距離を置くべきか?

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エイン・エンゲルステッド

ベルゲン大学の実践哲学分野の研究員。専門は、フェミニスト認識論。今回扱ったのは、彼女の「象牙の塔とコンクリートの花:政治哲学とアクティビズムの関係について」という論文。論文では、ミランダ・フリッカーが参照されている。本コラムの2025年1月号で取り上げた哲学者なので、UOMOのウェブサイトで該当記事をチェックしてみてほしい。

 哲学のサブジャンルである「政治哲学」は、社会の目指すべき姿やそれを支える価値や規範、共生のイメージをめぐる議論を行う理論的な学問である。だから、「負けたA党はB党と組むしかない」「C党は比較第一党としての数は余裕で確保しているじゃないか」といった政局談義とは一応切り離されている。しかし、政局を論評する上で、政治哲学の議論は重要な役割を果たしていると言える。

「政治哲学者は、政治から距離を置き、冷静に政治的立場を評価できた方がいい、だから、政治的所属を持つのは避けるべきだ」と主張されることがしばしばある。特定の思想や信条のエコーチェンバーに入り込むと、政治哲学が特定の政治的立場を合理化する仕事になると危惧されているのだ。「象牙の塔にこもった方が、ちゃんと客観的でいられるでしょ?」というわけだ。だが、政治哲学者は、一切政治に関わるべきではないのだろうか。

「政治哲学者は象牙の塔にいろ」論の前提には、アカデミアが政治性から解放された領域だという発想がある。しかし、トランプ政権の科学や大学、留学生に対する攻撃を見ればわかるように、学会や大学も、政局や世論に容易く左右される。また、自分とは異なる意見同士の出会いは社会にとっても個人にとっても有益なので、自閉することは望ましくない。これらを考慮すれば、この議論はさすがに単純すぎる。

 哲学者のエイン・エンゲルステッドは、政治的所属によって生まれるバイアスより恐れるべきバイアスがあると言う。①特定の政治的立場を周縁化し、まともに取り扱わない偏り、そして②現状の制度を維持し、周縁にいる人々に反対する傾向性である。

 彼女は、こうした社会の偏りに抵抗するために、抑圧された人々のグループ形成を擁護している。抑圧された人々は、自分の経験を語る言葉や、その言葉を聞かれる機会を持たないため、自分の経験を言葉にして人々に伝え、語り合う「認識的主体性(epistemic agency)」を育む環境を持たねばならないからだ。政治的結束によって主体性が育まれる中で、上記の二つの偏見(①と②)が具体的に暴かれることになる。

 以上を踏まえると、抑圧された人々が自由につながる場合、政治哲学者は、積極的に政治的所属を持つ意義があると言える。彼女はここから、理論を偏重して実践を軽視する現在の学問への疑問などの話にも移っていく。一点補足したい。自分がどんな前提や偏りを抱えているかを自覚していることを、一種の客観性と捉える立場ができる。エンゲルステッドによる政治哲学者の政治参加擁護論は、そのような観点から肯定することもできるだろう。

谷川嘉浩

哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『増補改訂版 スマホ時代の哲学』『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。

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