第22回|会話は「約束事」をつくる共同作業!
大阪大学講師。専門は分析哲学、言語哲学。今回取り上げたのは、三木さんの『会話を哲学する』(光文社)の一部。より専門的に知りたい方は、三木さんの『話し手の意味の心理性と公共性』『グライス 理性の哲学』(ともに勁草書房)も読みやすくて面白い。とはいえ、一般の読者は『言葉の道具箱』『言葉の展望台』(ともに講談社)などに派生するのがいいかもしれない。
会話とは何だろうか。情報交換? 感情のやりとり? どちらも間違いとは言えない。だが、会話の参加者が何かに縛られている点に注目することもできるだろう。AさんとBさんのあいだで、こんな会話があったとしよう。「あの人真面目だし、Bさんのことが大好きでいいと思うな」「わかるよ。けど、結婚は一番好きな人としたい」。実に自然な会話だが、Aさんが「そうね、あんなダメな人やめときな」と続けたらどうだろうか。普通に読めば、会話が食い違っているように感じる人が多いはずだ。
三木那由他さんは、会話には「約束事の形成」という面があり、それを「コミュニケーション」と呼んでいる。さっきの会話が奇妙に感じられるのは、〈Aさんは「あの人はBさんの交際相手にふさわしい」と思っている〉という約束事が成立しているのに、当のAさんが特に説明もなくその約束事に反する発言をしたからだ。
「言ったこと」の意味することを、当の発話者は引き受けなければならない。「文脈」という言葉は、この作業の集積のことを指していると言える。会話には、こうして一緒に約束事をつくり上げていく作業が含まれているのだ。
ちなみに、約束事と発話に齟齬がないようにしなければならないとはいえ、発話者が自分の約束事を心底信じているかどうかは問題にならない。たとえば、付き合えば苦労すると予測しながら悪意を持って二人の仲を肯定すべく、「あの人って真面目だし、Bさんのことが大好きでいいと思うな」と言っていたとしても会話上の齟齬はない。
三木さんは、高橋留美子さんの名作『うる星やつら』から魅力的な事例を取り上げているので紹介しておこう。ラムとあたるが大喧嘩をして、「好きだ」と言ってくれない限り許さないとラムが言い張り、世界中を巻き込んで、あたるが「好きだ」と言うかを固唾を呑んで見守る話がある。作中でずっとそうであったように、意地っ張りのあたるは、どうしても自分の好意を口にできず、ラムを不安にさせる。しかし、この話のラストまでに、あたるは好きという言葉を使わずに好意を伝えることに成功する。
象徴的なのは、「一生かけていわせてみせるっちゃ」「いまわの際にいってやる」と会話する場面だ。表面的には「好きだ」と言わせる/言わないという話をしているように見えるが、ここにはより大きな約束事が含まれている。ラムは一生あたるの傍を離れないつもりでいるという約束事を引き受けているし、あたるも死ぬまでずっと一緒にいるだろうことを約束事として認めている。単に好きだと伝えるよりも大きな帰結をもたらす約束事が、ここで取り決められているのである。
哲学者。京都市立芸術大学美術学部デザイン科で講師を務める。著書に『増補改訂版 スマホ時代の哲学』『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』『鶴見俊輔の言葉と倫理』など。