
ロックフェスに出ていても違和感のない普通にカッコいいロックとか、ああいうのを実は心の底から憎んでいます! 男女の恋愛の機微だとかをポップなメロディに合わせて歌うなっつの! バンド名も曲名も、「こんなの聴いてると人に知られたら社会的信用が失われるかもしれない」というのだけ偏愛していたい。そんな俺が何十年も愛聴し続けているバンドが“奇形児”です!

日本のパンク黎明期に現れシーンに衝撃を与えたハードパンクバンド奇形児は、1982年11月結成。ボーカルのYASUが22歳の時新宿歌舞伎町のゲーセンでバイトしていて、バイト仲間で当時16歳のベースTATSUSHIがイギー・ポップのTシャツを着ていたことで意気投合&バンドをやることに。知人の紹介でギターのHIROSHI、初代ドラムのSIVAが加入しオリジナルメンバーが揃う。TATSUSHIは、ファイターの異名を持つ姉が日本のパンクの祖であるザ・スターリンの遠藤ミチロウと一時付き合っていたことから、姉に連れられスターリンやチフスのライブに中学生から出入りし衝撃を受け、自分もスターリンのようなパンクバンドを志す。だがバンドで世に出ることを目指して群馬から上京したHIROSHIは違った。YASUからバンド名は奇形児だと告げられた瞬間、「終わった」と思ったという。バンド名がこれな時点でテレビに出たりメジャーデビューしたりなど夢のまた夢、辞めようと思ったがなんとなく言いそびれて活動開始。1983年3月、スターリンのギターのTAMによるインディーズレーベルADKレコード第一弾として1stソノシート『奇形児』をリリース。ハードコアパンクのアンチテーゼとして遅くて重い音楽をコンセプトとし、YASUによる情念に満ちたドロドロの日本語詞と相まって、スターリンでパンクに目覚めた少年少女たちから絶大な支持を集めることに。1983年9月には早くも4曲入り2nd7インチEP『PLASTIC SCANDAL』を同じくADKから発売。このEPから全面的にHIROSHIが曲を作っている。奇形児が好きすぎてこれまでメンバー4人中3人にインタビューしたが、HIROSHIさんだけパンクバンドの人とは思えない発言を連発。メンバーの中で一人だけ「スターリンはあまりピンとこなかったというか……」とか、「対バンのパンクバンドにも興味がなくて、リハ終わったらパチンコ屋行って時間つぶしてました」等、飄々と言っていて爆笑。だが、曲作りに関しては天才的で、「思いついたフレーズをギターで弾いてラジカセに録音していったらこのEPの4曲が1日で出来た」のだとか。すげえ! 東京のパンクを牽引する存在になるかと思われた矢先の1984年2月、3rdソノシート『PRESSURE』を最後に活動停止。翌年秋には一時的に再結成し4thEP『Hello Good-Bye』を出し、約1年ちょっとの活動期間で東京パンクシーンを駆け抜け伝説となった。