2025.11.24
最終更新日:2025.11.24

『完本 青い車 』|青春がじわりとよみがえる。永遠の名作が完全版に【歌人が推す 短いのに、引きずり込まれるマンガ|枡野浩一】

『完本 青い車』

『完本 青い車』の一コマ
Ⓒよしもとよしとも/太田出版

青春がじわりとよみがえる。
永遠の名作が完全版に

 青春とは屈辱である⋯⋯という視点を僕に教えてくれたのは、今はなき伝説のインディーズ音楽誌「よい子の歌謡曲」の元編集長、晄晏隆幸(てるやす・たかゆき)氏でした。ある青春小説を氏が「屈辱集」と評したのです。

 人は皆、その屈辱の時期を抜け出ることができたとき、「あれは青春だった」と振り返ります。でも通りすぎたからといって、にがい思いが消え失せるわけではないのだよなと、『完本 青い車』を読んで考えました。本作がまごうことなき「屈辱集」⋯⋯青春の後ろ姿を活写する傑作短編集であるからでしょう。

 表題作『青い車』において、断片的な情報が少しずつ読み手に明かされるうちに、思いのほか劇的な⋯⋯しかし普遍的な、ある意味「陳腐」とも言えるような物語が浮かび上がる仕掛けになっています。けれどそれが、じつに淡々と表現されている。まるで人ごみですれちがったカップルの会話の一部が、たまたま聞き取れてしまい、聞こえなかった部分を想像で補う⋯⋯的な。余白の多い作品なんです。

『完本 青い車』の一コマ 2

 著者よしもとよしとも(敬称略)は、軽やかな私小説っぽいテイストの4コマ漫画で世に出た漫画家でした。寡作です。本書の帯に《発表30周年》と書いてありますが、90年代に発売された同題の短編集に、「シリーズ最終話」を追加してまとめた完全版とのこと。

 僕(著者の4歳年下)にとってはあまりに身近な、小沢健二、スピッツ、フィッシュマンズなど、時代を象徴するミュージシャンへのオマージュがちりばめられています。30年後の読者には、その音楽がどのように響くのか⋯⋯読んだかたの感想をとても知りたいです。

 名前こそ出しませんが、「よしもとよしとも以後」と僕がひそかに呼んでいる人気漫画家がいます。その話題作を読んで、「この内容で2巻も描くか⋯⋯よしもとよしともなら短編1本にすると思う」と言いたくなってしまうこともありました。正直、よしもとよしとも作品をリアルタイムで味わっていた当時、そこまで「大好きな漫画家」と感じていたわけではありません。時が流れるにつれ、「よくよく考えると、あれって画期的な試みだったのでは」と、遅まきながら感じるようになった次第です⋯⋯たいへん失礼いたしました。

 収録短編が最初に発表された雑誌の多くは今はもうありません。名前だけが登場する高名な音楽評論家も先日、他界されました。オマージュ先をまったく知らないような若い世代にこそ、手にとっていただきたい一冊です。

『完本 青い車』

『完本 青い車』
よしもとよしとも/太田出版
発売から30年の時を経た、名作短編集に、初版未収録のシリーズ最終話「ライディーン」が加わった完全版。描き下ろしのカバーにも注目。

枡野浩一

歌人。『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』(現在11刷)、漫画紹介本『漫画嫌い』(絶版)など、著書多数。タイタン所属。

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