現在公開中の映画を、菊地成孔が読み解く。
『ホーリー・カウ』

田舎を美化しない意欲的な自然主義映画
だがなぜスマホやネットを黙殺するのか?
これはとてもいい映画です。
フランスの視覚芸術には自然主義の伝統があり、絵画なら印象派に結びついている。映画の創始者リュミエールは、ドキュメンタリーを志向。フランスは文学も含め、アメリカの見世物・娯楽主義に、自然主義で対抗した。パリ市街に飛び出しロケしたヌーヴェルヴァーグ期のゴダールもまた自然主義。その極点はプロの俳優を使わなかったロベール・ブレッソンです。フランス映画がアメリカナイズされかけると、必ず自然主義に戻そうとする良心的な人が現れる。
本作の若き女性監督もその一人。赤でも白でもない、黄色のワインで知られるジュラ地方が舞台。チーズ職人の父に先立たれ幼い妹と二人で生きることになった18歳の少年が、チーズづくりに挑む。古典的なチーズづくりだけにスポットを当てる心意気やよし。ワインを絡めれば、インターナショナルなお土産映画になるのに。美男美女に頼らず、土地の演技未経験者を起用。田舎を美化せず、ワイルドな情景をこれでもかと映し出す。一つの地産に向き合いながら、おいしそうに撮ろうとはしない姿勢は、正しく自然主義です。
感心しかけましたが、現代映画世界の限界が露呈した。スマホの扱いがリアリズムに欠ける。主人公は序盤にSNSを使うだけで、その後、スマホは登場しない。亡き父に倣い、無理めの挑戦を続け、万策尽きた後に、ようやく動画を参考にチーズづくりを始める。いくらなんでもおかしい。若くして家業を継いだ日本の若い人たちは最初から和菓子や漬物などの作り方をYouTubeで学んでいます。なぜ、常識に抗うのか。ネット世界にもチーズ名人はいる。さらに祭りのシーンでも誰もスマホをかざしていない。
まるで1970年代の映画のよう。ここまで意欲的な映画でも、スマホを構える群衆は撮りたくないのか。映画好きは、まだスマホがない時代の映画ばかり観ているから、スマホを映画的に使いこなせていない。スマホをきちんと導入した名作がいまだに登場していません。
どんなジャンルの「レシピ」もネットにある時代。それを臆せず映し出してこそ自然主義。映画がスマホに「汚染」されることを恐れ、修業と挫折の物語を繰り返す映画界は、21世紀を迎えていないのかもしれませんね。(談)
『ホーリー・カウ』
監督・脚本/ルイーズ・クルヴォワジエ
出演/クレマン・ファヴォー
10月10日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
フランス・ジュラ地方の放蕩息子が、父の死をきっかけにコンクールでの一攫千金を狙って、コンテチーズづくりにチャレンジ。悪友たちの力を借り、年上女性といい仲になりながら、奮闘を重ねるが…。リアリズムの描写とほのかなファンタジーが同居。虚飾を排したつくりがウケて、本国では100万人を動員する大ヒットに。監督はジュラ出身のルイーズ・クルヴォワジエ。
音楽家、文筆家、音楽講師。最新情報は「ビュロー菊地チャンネル」にて。
ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi
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