2026.05.20
最終更新日:2026.05.20

『旅立ちのラストダンス』|かつての香港映画からは考えられないほどスタンダードな人情ファミリードラマ【売れている映画は面白いのか|菊地成孔】

現在公開中の映画を、菊地成孔が読み解く。

『旅立ちのラストダンス』

『旅立ちのラストダンス』
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かつての香港映画からは考えられないほど
スタンダードな人情ファミリードラマ

いきなり『破・地獄』(原題)とタイトルが出るので、怖い映画なのかな、恐ろしいことが起こるのかなと身構えてしまいます。が、いざ始まってみるとそんなことはない。1時間たっても異変は起きない。いや残り1時間ある。これからどうなるのか。ここまでがベタなのは驚くべき展開が待ち受けているからなのではないか…と思ったら、最後までベタなドラマでした。映画というよりテレビドラマ。それも昔の。日本の『おくりびと』よりも古くささがある。

コロナの余波でウェディングプランナーから葬儀社に転身せざるを得なくなった男が、ともに葬儀を執り行う葬儀道士の伝統を重んじるやり方と衝突しながら、互いを認め合っていくという物語構造は、ベタベタに保守的。破地獄というセレモニーの行方には若干のリベラル視点があるものの、魔女狩りくらい前時代的な女性蔑視を背景にしたものなので、現代からは程遠い。ストーリーテリングは1970年代のドラマ並みですが、ドローンも駆使したカメラや照明はすごく、画はかなりいい。映画の技術力がいかに向上したかを痛感します。しかしカルチャーの内実があぜんとするほど反動的。ただその古さに腹が立つかと言えば、そうでもありません。

ウォン・カーウァイ、ジャッキー・チェン、ブルース・リー…かつては世界のカルチャーを牽引していた香港。このあまりにスタンダードな人情ファミリードラマが香港映画史上最高の興行収益をあげていると聞くと、複雑な思いにも駆られます。

2014年、中国に返還された後の香港の人々は「雨傘革命」を起こし、鎮圧された。民主化ならず。しかし映画は残った。エッジィでサブカルでサイバーパンクでもあった香港も、国家体制が変わるとここまで変わるのか。歴史上ロシアやドイツの芸術が体制の変化によって失われたこととはまったく別な「文化実験」を見せられている気がします。

もちろんこの映画を観て、10年やそこらでもう雨傘革命を忘れたのか?と怒る人は少ないでしょう。『ブゴニア』など攻めに攻めまくった21世紀映画を観ている者にとっては、心ならずとも癒やされることも事実。映画は視聴覚芸術。画がよくて音がよくて役者がうまければ、どんなにベタでも感動してしまうものなのです。(談)

『旅立ちのラストダンス』

監督/アンセルム・チャン
出演/ダヨ・ウォン、マイケル・ホイ
5月8日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開

スタンダップコメディアンとして大人気のダヨ・ウォンと『Mr.BOO!ミスター・ブー』でお馴染みのマイケル・ホイの顔合わせで送る、大ヒット香港映画。利益追求型の新人葬儀業者と、伝統に頑なな葬儀道士のコンビの衝突と邂逅を、実直な物語運びで描く。映画の原題である「破地獄」とは、道士が葬儀で舞い、死者を地獄から救う伝統的な儀式のこと。

菊地成孔

音楽家、文筆家、音楽講師。最新情報は「ビュロー菊地チャンネル」にて。
ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi
本連載をまとめた書籍『クチから出まかせ 菊地成孔のディープリラックス映画批評』が好評発売中。

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