2020.04.04

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコメ映画講座Vol.24『プリティ・ウーマン』

コールガールの女の子が素敵なレディに変身し、幸せを掴む話として知られるラブコメの名作『プリティ・ウーマン』。だが、王子様と思われていたヒロインの相手は…実は酷い男だった!? 公開から30年経った永く愛され続ける作品を二人はどう読み解くのか?  

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今だからこそ感じる、30年前のシンデレラストーリーの違和感

——公開から今年で30周年の『プリティ・ウーマン』(1990年)を取り上げます。久しぶりにご覧になられていかがでした?

ジェーン・スー(以下、スー):公開当時は「現代のシンデレラ物語」的なロマンティック・ムービーとして観ていた記憶はあったものの、なぜ自分がそう思っていたのかを思い返すと…いま観たら同じ気持ちにはならないだろうなって予感はありました。30年ぶりに女友だちと一緒に観て、みんなでシュンとしちゃった。王子様の物語だと思ってたけど、全然違うじゃんって。大人になると見えてくるものが変わる。

高橋芳朗(以下、高橋):そうね、僕も興味深くて思わず二回観てしまったよ。では、まずは簡単にあらすじから。「ウォール街きっての実業家エドワード(リチャード・ギア)は、ハリウッドで偶然コールガールのヴィヴィアン(ジュリア・ロバーツ)と知り合う。ヴィヴィアンに興味を持ったエドワードは、彼女と一週間3000ドルでアシスタント契約を結ぶことに。エドワードにとってはただの気まぐれ、ヴィヴィアンにとっては最高のお客だったが、やがて二人はお互いに惹かれ合って…」というお話。ジュリア・ロバーツはこれでゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)を受賞して一躍トップスターになるわけだけど、まあそれも納得。彼女の出世作にしてキャリア中、最もチャーミングに撮られた一本であることはまちがいない。

スー:ホントに魅力的。ジュリア・ロバーツのチャームで話がもっているってことに、改めて気づいたよ。だけど、女のことがすべて男の都合でしか描かれてなくて愕然ともしたよ。

高橋:それは二人の出会いの瞬間からそう。不慣れなマニュアル車の運転で途方に暮れてるエドワードの前にヴィヴィアンが現れたと思ったら、いきなり華麗なドライビングテクニックで彼を宿泊先のホテルまでガイドするくだりとか、いくらなんでも好都合すぎる(苦笑)。冒頭で割と生々しいストリート描写があるからなおさらその対比が、ね。

スー:「売春婦なのにマニュアル車の運転に詳しい」とかね、それどうなの? って。多くの人に愛されるロマンティック・ムービーであることは否定しないし、ジュリア・ロバーツもびっくりするほど素敵。記憶に残る名シーンもたくさんある。だけど、2020年に観ると、手放しで礼賛はできないのが正直なところ。ヴィヴィアンとエドワードの描き方、ラブコメ映画ならでは、とかフィクションだから、では済まされないリアリティのなさが気になってしまったな。ラブコメ映画としてもポジティブなメッセージはなかったと思うし。

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高橋:1990年の全米興行収入成績で1位を記録してるだけのことは当然あるし、ロマンティック・コメディとして屈し難い魅力があるのも完全に同意。たとえば、ヴィヴィアンがホテルのバスルームでこそこそやってるのをエドワードがドラッグと勘違いして彼女に詰め寄るシーンは当時からすごく印象深かったな。実はヴィヴィアンが手に隠し持っていたのはデンタルフロスだったという、劇中でも取り分けラブコメ度の強い場面だね。 スー:あのシーンは公開当時から記憶に残ってた。とても可愛らしいよね。二人の距離か縮まる場面ではある。 高橋:うん。ここの演出はのちに『プリティ・プリンセス』(2001年)でアン・ハサウェイを見出すラブコメ映画の巨匠、ゲイリー・マーシャルの面目躍如といえるんじゃないかな。 スー:けどさ、同時に「娼婦はドラッグ依存症」というエドワードの偏見を炙り出すシーンとも言えるのよね。全編通して、エドワードがヴィヴィアンを同じ人間として同格には扱っていない場面がかなり目に付いたね。 高橋:確かに公開当時と比べてエドワードの見え方はかなり変わった。正直、男ながらにキモいと思った場面がいくつかある(笑)。 スー:たとえばどの場面? 高橋:ふたりがホテルで過ごす最初の夜。床に寝そべってゲラゲラ笑いながらテレビを観てる無邪気なヴィヴィアンを、エドワードが満足そうな笑みを浮かべてじっと見つめてるシーン。エドワードの表情からいまいち彼の感情が読み取れないんだけど、あのペットを愛でるような眼差しがちょっと気色悪かった。 スー:確かに!! 一緒に観てた友だちがポロっと「これって、若い女の子を自分色に染めて喜んでるオッサンの夢物語じゃん…」言ってたけど、まさにそう。女の子が憧れる話と見せかけて、実は不遜な中年男の物語。エドワードのことを昔は素敵な紳士だと思っていたけど、いま観ると「こんなにつまんない男尊女卑男だったっけ!?」って唖然としちゃった。 高橋:エドワードがヴィヴィアンへの思いを確認するひとつのきっかけが、ホテルの支配人バーニー(ヘクター・エリゾンド)が高級ジュエリーとヴィヴィアンを重ね合わせた「美しい宝は手放すのがつらいものです」という台詞だったりするのがまたなんとも。実際、リチャード・ギアは最初に台本を読んだ時にエドワードを「つまらない男の典型」と思ったんだって。曰く「本当に馬鹿馬鹿しい台本。僕が演じる役は、言わばスーツのようなものだ。誰でも構わないから、ただスーツを着せておけばいいような役だよ」と。 スー:それは重要な意見! エドワードは、ヴィヴィアンだけじゃなく女そのものを仕事のアクセサリーくらいにしか思ってないんだよね。付き合っていた彼女にもそれが原因で電話で別れを告げられてたし、彼の女友だちのヴィヴィアンに対する態度(「あなたが彼の今月のフレーバーね!」など)を見ても、いつもああいうことをしている男なんだろうなとわかる。なのに、エドワードがまったく悪人として描かれていないのがまた…。
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——エドワードはヴィヴィアンに出会って少しは変わったんですかね? 高橋:結構な土壇場まで「僕は君を売春婦扱いしていない」「まさに今したわ」なんてやり取りがあったぐらいだからね。これといった大きな変化は感じられなかったな。終盤の裸足で芝生を歩きながら自問しているシーンにしても、結果的にヴィヴィアンの心情をよく理解できていないことを強調してしまっているような。「この期に及んでまだそんな感じなの?」って。 スー:変わった風に見せてるけど、変わってないよね。ヴィヴィアンがエドワードの本質を責めるシーンは、あくまでエドワードをよりいい人に見せるための道具にしかなっていないし。「儲けのためなら手段を選ばない仕事一辺倒の男が真実の愛を知った」みたいな流れになってるけど、その変換装置にリアリティのない売春婦を使うなって思うわ。 高橋:うん。さっきも言った通りエドワードが変わったようには到底思えないし、なんならヴィヴィアンがエドワードによって磨かれたようにも見えないんだよな。確かにエドワードは金に物を言わせて表面上はヴィヴィアンに変化をもたらしたのかもしれないけどさ。 スー:残念ながらね。設定としては多分、ヴィヴィアンは20代前半、エドワードは40代半ばでしょ? 年端もいかない女の子を、お金を使って自分好みに都合よく仕上げる物語がもう2020年には絶対に無理よね。3000ドルの契約期間が終わって、お互いに好意を持っているとわかってる状態でハッピーエンディングを望むヴィヴィアンに「それは無理」とエドワードが即答するのも背筋が凍ったわ。「身の程をわきまえろ」ってことじゃん。正式な彼女として表に出す気はない。友だちが「自分の人生には絶対にコミットさせない男」と言っていて、至言だなと思った。なんであれを楽しめていたんだ過去の私は…。 高橋:エドワードの対応に失望したヴィヴィアンが「夢に出てくる騎士はこんなこと言わない」と言っていたけど、普通だったらもうあそこで修復不可能なレベルだよね。そもそもヴィヴィアンの気持ちを受け止める覚悟がないのなら、わざわざ『椿姫』のオペラになんて連れて行かなければいいのに。だってあれって高級娼婦と青年貴族の恋物語でしょ? スー:一緒に仕事をしている弁護士のスタッキー(ジェイソン・アレクサンダー)が、ヴィヴィアンは敵が送ってきた産業スパイなんじゃないかってエドワードに言った場面があったじゃない? そこで「彼女はフッカー(娼婦)だよ」って半笑いで答えたのも完全にホモソ仕草だなって思った。「お前が心配するに値しない女さ、娼婦だし」ってことでしょ。男の親友の前で彼女を悪く言う場面。スタッキーも本質的にはビジネスの心配をしてるんじゃなくて、エドワードが自分をかまってくれなくなった嫉妬だしね。
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高橋:あのシーンのエドワードの言動はのちのスタッキーのある暴挙の遠因にもなっているからね。それを受けてヴィヴィアンが吐き捨てるように言った「男は高校でビンタの練習でもするの?」という台詞はもうぜんぜん笑えない。 スー:ホントそうね。改めて観てみて、平日も休日もエドワードのスタイリングが全てスーツとアタッシュケースなことに気づいたんだけど、あれ制作陣の嫌がらせかと思った(笑)。プライベートのない男。 高橋:これはヴィヴィアンも暗に指摘していたけど、エドワードは金はめっちゃ稼ぐ一方、それでなにかを生み出すわけではないんだよね。もうこういう話をしていくとキリがない(笑)。「愛してる」って打ち明けたヴィヴィアンに対して「これが僕の精一杯の気持ち」とか言ってドヤ顔で高級アパートに囲うことを提案してくるような男なんだから。 スー:気持ち要素ゼロのお気持ち! モノ扱い発言の「金はやるから、もう街には立つな」とかさ。UOMO読者にはそんな人はいないと思うけど、2020年の男は絶対に真似しないでほしい。女は人形じゃないんだから。 高橋:あー、まさにエドワードはピグマリオンコンプレックス(女性を人形のように扱う性癖)なのかもしれない。さっき話したヴィヴィアンに向けた眼差しの違和感もそれで説明がつくな。 スー:ジュリア・ロバーツがあまりにも可愛いから大事なところが見えていなかった&時代が変わって私の見方も変わった。ジュリア・ロバーツの魅力は色褪せないけど…、とにかくびっくりしたのは、こういう風に描かれたエドワードを何とも思わなかった昔の私よ。自分にがっかりだよ。ヴィヴィアンとエドワードのこと、素敵なカップル誕生! みたいに思ってたからね。でも気づけてよかったよ。 高橋:当時はエドワードのあの振る舞いが「大人の余裕」みたいに映っていたのかも。でも、実はただ空っぽなだけだったという。 スー:公開当時からフェミニズム的にはあり得ない作品と言われていたらしいんだけど、少しはそれを広く共有できる感じにはなってきたかな。そう考えると、前に紹介した『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』(2019年)は素晴らしかった。 高橋:『ロング・ショット』は『プリティ・ウーマン』の逆転版なんて紹介されることも多くて、実際随所にオマージュも仕掛けられているんだけど、こうして改めて『プリティ・ウーマン』を観ると『ロング・ショット』の狙いがよくわかる。監督のジョナサン・レヴィン曰く「リチャード・ギアが若い売春婦を見初めたころに比べて、男女間における政治はすごく進化した。僕らはそんな状況を描いているんだよ」と。 スー:そうなんだ。確かに『ロング・ショット』で考えるとわかりやすいかも。現代版の逆シンデレラストーリーだけど、シャーリーズ・セロン演じる国務長官のシャーロットが、街に立つ若い男娼をあんな風にしたら大問題だもん。
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高橋:そういえば原作ではヴィヴィアンがドラッグ中毒で、ニューヨークに恋人がいるエドワードはセックスワーカーの彼女を終始見下しているんだって。そして、最終的にはお互いもとの居場所に帰っていくというエンディング。これを映画化にあたって力技でハッピーエンディングにもっていったと。 スー:元のタイトルは『3000』(ヴィヴィアンが買われた値段3000ドルの意)だったらしいしね。そのダークエンディングじゃヒットしないからってハリウッドが無理やり変えたたわけだけど、ひどい話よ。そのせいで、エドワードの狡猾さがまるで消滅しちゃったんだから。米映画専門誌『バラエティ』にあった記事を読んだら「エドワード役にはアル・パチーノ、ヴィヴィアン役にはミシェル・ファイファーも候補に挙がっていた。その二人だったら原作に近いエンディングになっていたかもしれない」とあって、その通りだなとは思った。いまはそっちのほうが観たいわ。 高橋:アル・パチーノとミシェル・ファイファーは『スカーフェイス』(1983年)で共演してるぐらいだから原作のハード設定でも十分耐えられそう(笑)。ちなみにゲイリー・マーシャルは『プリティ・ウーマン』公開の翌年、1991年の『恋のためらい/フランキーとジョニー』でアル・パチーノとミシェル・ファイファーの共演を実現させてるんだよね。これ、脛に傷持つふたりの大人のラブコメディって感じで強くおすすめしたい一本。 スー:世代的な問題かもしれないけど、音楽は抜群なのよね。いまだに全部歌える。 高橋:サウンドトラックはアメリカだけで300万枚以上売れてるからね。タイトルにも引用されたロイ・オービソン「Oh, Pretty Woman」が実質的な主題歌として認知されているけど、劇中で光っているのは終盤のエドワードの心の揺れを示唆するようなタイトルバックのゴー・ウエスト「King of Wishful Thinking」、そして訣別した二人にオーバーラップしてくるクライマックスのロクセット「It Must Have Been Love」の2曲。特に後者は80’sと90’sの架け橋になる名曲だと思う。 スー:「It Must Have Been Love」は『ロング・ショット』でも効果的に使われてたね。 高橋:そうそう、音楽シーンとしてはヴィヴィアンがバブルバスにつかってプリンスの「Kiss」を熱唱してるくだりも最高。「僕を振り向かせるのにおめかしなんてしなくていい。ベイビー、そのままの君でいいんだ」という歌い出しの「Kiss」の歌詞がまたいろいろと意味深なんだけど、やっぱり冒頭でスーさんが言っていた通りジュリア・ロバーツは絵になるシーンが多いね。 スー:ジュリア・ロバーツの魅力を十二分に堪能しつつ、エドワードを反面教師として見て欲しい作品でした。

『プリティ・ウーマン』

監督:ゲイリー・マーシャル
出演:リチャード・ギア、ジュリア・ロバーツ、ヘクター・エリゾンド
初公開:1990年12月7日(日本)
製作:アメリカ

Photos:AFLO

ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。コラムニスト・ラジオパーソナリティ。近著に『これでもいいのだ』(中央公論新社)『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)。TBSラジオ『生活は踊る』(月~金 11時~13時)オンエア中。

高橋芳朗

東京都港区出身。音楽ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ、選曲家。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。

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