夢を追いかける平凡な男が
悪の指導者へ姿を変えた心の闇に肉薄する

「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見るアーサー。都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに秘かな好意を抱いている。孤独だが心優しい彼は、笑いのある人生こそすばらしいと信じ、人生のドン底から抜け出そうと、今日も顔を白く塗り、本心を笑い顔の下に隠しながらもがく。だが、次第に狂気にとりつかれ、<悪のカリスマ>ジョーカーへと変貌していく…。

バットマンを翻弄する最凶の宿敵として多くの人々を惹きつけ、映画史上最も有名なヴィラン(悪役)であるジョーカー。本作では、これまでアニメや実写化作品で描かれてこなかった悪役の誕生の瞬間を見届けることになる。舞台は、貧富の格差が広がり公共のシステムが崩壊しつつあるゴッサム・シティ。アーサーはそんな社会の端っこで静かに回る歯車だ。ストレスを感じると意に反して笑い出してしまう発作を患いながら、過去に縛られる高齢の母を支え、夢に向かって生きている。ちょっとした振る舞いや思い違いから生まれる他人や社会とのズレは、不遇な人生に疑問を持ち始めたアーサーの精神を徐々に蝕んでいく。次第に、コメディアンを目指す彼の承認欲求と自意識は肥大化していき、自らの信念と世の機運が重なった瞬間、アーサーはジョーカーとして新たな命を得る。

これは、時代と意思が揃えば誰の身にも起きる話である。アーサーが生まれ変わったジョーカーは原作コミック以来描かれている、工場の化学薬品のタンクに落ちて肌が白く、髪が緑になったサイコパスではない。人を笑顔にしたい一心でピエロになり、コメディアンを目指すピュアな青年が、いわば階段を一段踏み外したことで成り果てた悪のカリスマなのだ。「こんなはずじゃない」「もっとうまくやれる」という自信と諦めがない混ぜになった見通しの悪い現実社会にリンクしながら進むオリジナルストーリーに、多くの人は共感してしまうだろう。また、名優ホアキン・フェニックスは、理想と現実という鈍器の間で潰されながら徐々に限界を待つ果実のように、瑞々しく危ういアーサーという人物像を演じ、観るものに切なさと緊張感を与え続ける。「狂ってるのは──僕か? それとも世間?」。ジョーカーが見た世界に、私たちは覚悟して身を投じるしかない。


『ジョーカー』

監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ
2019年10月4日より、全国公開
©2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & © DC Comics

『ジョーカー』公式サイト

Text:Hisamoto Chikaraishi