2019.08.20

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコメ映画講座Vol.13『KISSingジェシカ』

これはLGBTQ+のジャンルに入るのか? 連載初、同性同士の恋愛を描いた作品を取り上げます。

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコの画像_1

女性同士の恋愛を描いた作品

——今回の作品は『KISSingジェシカ』(2001年)です。連載がスタートしてから初めての女性同士のラブコメ映画ですが、なぜこの作品を?

高橋芳朗(以下、高橋):ここ最近ネットフリックスを中心にLGBTQ+のラブコメディをよく見かけるようになって。そんななかでしばしばLGBTQ+ラブコメの先駆けとして紹介されている『KISSINGジェシカ』を取り上げてみたいと思った次第。もう20年近く前の映画になるわけだけど、公開当時に観た時の印象がすごく良かったんだよね。題材的に今の視点で観たらどう映るだろうっていう好奇心もあったりして。

ジェーン・スー(以下、スー):私もヨシくんもシスヘテロ(身体的性別と性自認が一致した異性愛者)だから、この作品が性的マイノリティのリアリティをどれほど正しく描いているかは判断できないけど、20年前の作品にしてはステレオタイプに囚われずに作られていると思いました。作り手の心意気が感じられる映画というか。ただ、これをLGBTQ+の映画だと言うのが妥当かどうか…。

高橋:うんうん、それはめっちゃ思った。じゃあ、そのへんについて触れていく前にまずはあらすじから。「ニューヨーク・トリビューン紙の編集者として働く28歳の独身女性、ジェシカ(ジェニファー・ウェストフェルト)。男運の悪い彼女は運命の相手を探してお見合いデートを重ねるが、これぞという男性はなかなか見つからない。母親からも結婚を急かされて焦り始めたジェシカは大好きなリルケの詩を引用した新聞の恋人募集の広告に心奪われるが、実はそれは女性による『女性の恋人募集』だった。それでも、恋愛に悩むジェシカは思い切って広告主であるヘレン(ヘザー・ジャーゲンセン)と会うことを決意。意気投合した二人は交際を始めることになるのだが…」というお話。ちょっと補足しておくと、監督を務めるチャールズ・ハーマン=ワームフェルドはゲイであることをカミングアウトしてる。主演のジェニファーとヘザーは映画の製作と脚本にも携わっていて、このお話自体二人が演じた舞台劇『Lipschtick』がベースになってるみたいね。そんなジェニファーとヘザーの信頼関係が透けて見えてくるような映画ではあった。

スー:ジェシカとヘレン、二人のカップルがいちいち可愛いんだよね。あとディティール描写から懐かしさを喚起される場面も結構あって、悶えました。ジェシカとヘレンが口紅の話をしている時に出てきた「プリスクリプティブ」ってブランド名や、「その靴、ナインウエスト?」「いいえ、ケネス・コールよ」って会話とか。新聞広告でデートの相手を探すのもそうだけど、当時流行っていたものごとがけっこう出てくるから、40〜50代の女は私同様に悶えるでしょう。この作品は開始5分でジェシカの置かれている状況が全部わかる親切設計なんだけど、28歳で彼氏のいないジェシカは母親から「一生独身でいるつもり?」と詰められてて、アメリカでも2001年ってまだそういう時代だったんだよな、と。そのあたりはこの5年くらいですごく変わったんだろうね。少なくともアメリカでは。

高橋:時代感に関してはジェシカに「Eメールが苦手で云々」みたいなセリフがあるぐらいだもんね。でも「20年前ってまだそんな感じだったっけ?」と思ったのも事実で、あの『ユー・ガット・メール』が1998年の公開ということを考えると、こういうインターネットに対するスタンスがジェシカの問題点を示唆しているとも言えるよね。そのあたりはこれから掘り下げていくことになるだろうから後回しにするとして、まず『KISSingジェシカ』を語るうえで強調しておきたいのは挿入歌の選曲の充実ぶり。トレイラーでジル・ソビュールの「I Kissed a Girl」を使っているのもセンス良かったけど、なんといっても女性ジャズボーカルの使い方が素晴らしくて。だってブロッサム・ディアリーで始まってブロッサム・ディアリーで終わるんだよ!

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スー:おお、そうなんだ。ジャズに詳しくないから是非教えて欲しい。 高橋:これはもうアメリカ製作のラブコメディとしては画期的といっても大げさにならないぐらい洒落てる。しかも、タイトルバックの「Put On a Happy Face」にしてもエンドロールの「I Wish You Love」にしても単におしゃれな曲をあてがってるだけではなくて、それぞれのジェシカの心情や境遇に寄り添ったジャズスタンダードが選ばれてるんだよね。ジェシカの「マンハッタンのかわいいアパートに住むタウン紙の編集者」って設定はラブコメ映画のヒロインとしてちょっとベタすぎというかリアリティなさすぎなんだけど、それもこの選曲からすると敢えてそうしてるんだろうなって思えてくるぐらい。インディペンデント映画の矜持みたいなものも感じるね。この映画にインスピレーションを得て作られた女性ジャズボーカルのコンピレーション『Kissing Jessica Stein: Music From and Inspired by the Motion Picture』も最高なんだよな。 スー:リアリティと言えば、ジェシカの境遇ね! ジェシカの家庭はユダヤ教徒なんだけど、昔ながらの価値観を尊重する保守的な家庭で育ち、しっかりした仕事を持っているのにシングルなことを周りから可哀相と思われ、親から男性をあてがわれそうになり、親友は妊娠し、兄は結婚し、焦った自分はブラインドデートの相手に恵まれず…と八方塞がり。でも、こういうのって日本だと今でもよく創作の題材になるじゃない? だから若い子が観ても「これは私か!?」と驚愕する部分はたくさんあると思うな。 高橋:さっき触れたジェシカの設定も含めて、そのへんは割とよくあるパターンというか間口を広くとってあるよね。 スー:ただね…観てるとだんだんジェシカに対して猛烈に腹が立ってくるんですよ。ジェシカって基本的に上から目線のジャッジメンタルな人で、誰かになにかを勧められても「私には向いてない」とか「それはダメ」とか、全部却下する。「とりあえずやってみなよ」も全部否定する。ジェシカの性格を言い表す形容詞って無限に出てくるんだけど、「普通か普通じゃないかを勝手に自分のモノサシで決める」「最高のたったひとつ、を求めすぎる」「普通・当たり前・役に立つの3つに縛られ過ぎて、考え方が不自由」「自分で体験しなくても知識があればわかると、タカをくくって傲慢」「殻を破れないくせに、殻を破った先のことを知識で解決しようとする」「型を破る方法さえマニュアル通り」などなどなど。レズビアン・セックスに対しても「本によると、こういう風にするんでしょ?」とガイド本を持ってきて当事者に直接尋ねたり。失礼だよね。これってぜんぶ自分に自信がないことの裏返しで、そういう女の典型なんだよ!
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高橋:めちゃくちゃわかる! ヘレンも軽くキレてたけど、ジェシカがニューヨークのストリートで踊ってるアート集団だか新興宗教の団体を揶揄するシーンとか本気でイラっとしたよ。でも、この怒涛のプロファイリングにはちょっと同族嫌悪的なものを感じてしまうな(笑)。スーさん、もしかしたらジェシカにかつての自分を見たのでは? スー:図星だね。そうなんですよ。まるで若い頃の私みたい。完全に近親憎悪。アラサーの自分の首根っこ掴んで観せてやりたい。一方、ジェシカとは対照的にヘレンは素晴らしい女性なんですよ。自由で偏見もなく、決めつけもしないし、チャンスも掴めてリスクも責任も取れるっていう。ジェシカは、ヘレンに憧れてただけなんじゃないかな。ヘレンを恋愛対象として好きなわけではないように見えた。自分の足りないところを相手で埋めようとして、“虎の威を借る狐”になる。それは好きとは別モノだよね。男女間でもよくあること。不安で仕方ないから、常に安心を感じるためにヘレンをそばに確保するっていう…。深夜に観てたんだけど、ジェシカにパンチしたくなって大変だった。 高橋:ある意味、思いっきり映画を楽しんだと(笑)。 スー:おっしゃるとおり(笑)。楽しんだことには間違いないけれど、LGBTQ+の当事者は、これ観たら怒る人もいるんじゃないかなとも思った。だって、自分の性的指向の揺らぎを描いたシスヘテロ女性の話だもの。憧れと愛情と性的欲求の区別がついていないジェシカは、自己探求の一貫に女性同士の恋愛を試しただけのようにも見えた。 高橋:そう、そこに対する苛立ちに近い違和感はジェシカとヘレンが出会ってからずっとあって。でも、製作者側もそのへんは織り込み済みなんだよね。途中ヘレンの友人のゲイカップルが「君たちはゲイコミュニティを侮辱している」って指摘するシーンがあって、こちらのモヤモヤをちゃんと代弁してくれる。 スー:あそこで釘刺してきたね。悪意がないのはわかるしアクシデントから真実が生まれることだってあるのは否定しないけど。ヘレンは現代を生きていたらパンセクシャル(全性愛)を自認しそう。でも彼女も最初は好奇心からだったしね。ジェシカの場合は、ねえ…。

ジェシカとヘレンの変化の違い

——心に刺さるシーンが多いように感じましたが、好きなシーンを教えてください。

高橋:ジェシカとヘレンが初めて会った夜の一連のシーンはだいたい好き。異性同性関係なく、やっぱりお互いが惹かれ合っていく過程は見ていてワクワクするよね。

スー:全然違うジャンルの二人だったんだけど、波長があったんだよね。そのまま友達になってもよかったろうに。

——ジェシカはヘレンに出会ったことによって、どんどん変わっていきましたよね。

高橋:ジェシカはヘレンとキスした翌日から急に上機嫌になって、仕事に対するモチベーションも劇的にアップするんだよね。ファッションやメイクも若干華やかになったりして。

スー:まぁ、ジェシカはヘレンのおかげでだいぶ自分の偏見にも気付けたけど、ヘレンを恋人として本当に好きだったのか? って問われたら、微妙。

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高橋:ジェシカも殻を破れたことに対する高揚感は確実にあったんだけどね。 スー:そうそう。それはジェシカの方があったね。ジェシカはとにかく頭が良い相手を恋人にしたい。でも、それは単なる元彼コンプレックスの裏返し。そうとは気づかず、新聞広告の引用の言葉がよかったという理由でヘレンに会おうと思った。一方、ヘレンは男を知り尽くしちゃったから、女性を試そうと広告を出した。そもそもの恋愛対象は二人とも異性なんだよね。 高橋:そんななかで印象的だったのが、ジェシカとヘレンが名画座デートでジョン・ウェイン主演の西部劇『赤い河』(1948年)を見に行くシーン。二人はミソジニー全開の台詞に辟易して劇場を後にするんだけど、マチズモ的なものに対する嫌悪感が映画全体にうっすらと漂ってるんだよね。 スー:あのシーンはすごくスマートだったね。二人が映画を観終えて「つまらなかったわね」「(この映画)ハズレだったわね」って話しているのがすごくいいなって。映画として通底しているテーマは「男がいなくたって大丈夫」なのかもね。 高橋:その名画座デートの直後、まさに「有害な男らしさ」を体現するような男たちに二人がナンパされるくだりがあることを考えると、スーさんが言った「男がいなくたって大丈夫」は映画の裏テーマなのかもしれないね。最初に話した映画にインスパイアされたコンピレーションが女性ジャズボーカルで占められてるのもそういう背景に基づいてるのかも。 スー:いかに女の人が“物”として見られているかっていうのをはっきりと表現してたね。彼女たちに対して、男二人組が「女と女でダブルセクシーでしょ」って言ったセリフ。二人が恋人同士だとはつゆほども思わず、自分にとってのエロスの対象物が二倍になったっていう風にしか見えていない滑稽さ。「世間の男の目」を辛辣かつスマートに描写してたね。 ——今作は、素敵な男性が一人も出てこない印象がありました。 高橋:序盤のジェシカのお見合いデートシーンに顕著だけど、全体的に男は滑稽な存在として描かれてる。ジェシカやヘレンが同性に惹かれていったのにはそういうファクターもあったということなんだろうね。 スー:今回は、とにかくヘレンが魅力的なんだよ。あとジェシカのお母さん。私はお母さんの一言にもグッときました。 高橋:単に口うるさくてウザい存在だと思っていたお母さんが誰よりも本質を見極めていたという。そのあたりも含めて、この映画は先の展開を読ませないおもしろさがあるよね。体裁こそ王道的なラブコメのイメージをまとってるけど、その実ラブコメ的なお約束からは一定の距離を置いてるという。 スー:そう! ラブコメ映画ならではの「火サス」的な様式美はほとんどない。あと、個人的な感想としては女性同士の恋愛モノではなくて「視野が狭くなりがちなアラサー女性の成長譚」かな。そういう意味では、「出会いがない」とか「私は悪くないのに」とか、頭でっかちになってる女性には激しくオススメしたいですね。私も20年前に観ておきたかったよ!

『KISSingジェシカ』

監督:チャールズ・ハーマン=ワームフェルド
出演:ジェニファー・ウェストフェルド、ヘザー・ジャーゲンセン、スコット・コーエン
初公開:2001年4月21日(日本公開:2003年)
製作:アメリカ

Photos:AFLO

ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家、ラジオパーソナリティ、コラムニスト。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月曜~金曜 11:00~13:00)でパーソナリティーを務める。近著に「女に生まれてモヤってる!」(小学館)。

高橋芳朗

東京都港区出身。音楽ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ、選曲家。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。

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