2019.06.10

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコメ映画講座Vol.9『マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり』

忘れられない想い人がいる男女必見! 未練を断ち切る糸口が見つかるかも…。今回紹介する作品は、リアリティ溢れる大人のラブコメディです。

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコの画像_1

リアルな男女が描かれた大人のラブコメ作品

——今回はフランスとイギリスの共同製作『マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり』(2015年)です。

ジェーン・スー(以下、スー):これは掘り出し物でしたね。胸の奥の深いところをギュッと掴まれるような、大人のラブコメ映画でした。この連載では主にアメリカのラブコメ作品を紹介してますけど、今回はイギリスとフランスの合作映画。テイストが一味もふた味も違う。全体的にペシミスティック(悲観的)なムードが漂ってて、それがリアリティを生んでる。おかげで、ラブコメ映画の真骨頂であるご都合主義が「もしかしたら、本当にあるかも?」って思えちゃう作りになっているのが素晴らしかった。

高橋芳朗(以下、高橋):ヒロインのナンシー(レイク・ベル)が鏡に向き合って自問自答するオープニングからしてリアルなところをつついてきそうな雰囲気はめちゃくちゃあったもんね。では、例によって簡単にあらすじを。「彼氏いない歴4年、すっかり恋愛に臆病になった34歳のナンシーは、ある日ひょんなことから40代のバツイチ男ジャック(サイモン・ペッグ)にブラインドデートの相手と間違われる。人違いと言い出せないまま24歳の女子と偽ってジャックと一緒に過ごすナンシーだったが、意気投合したのも束の間、やがてウソが発覚して…」というお話。

スー:そう、オープニングのナンシーの顔! 演じるレイク・ベル自身はめちゃくちゃ美人なのに、ナンシーときたら…。髪はボサボサというよりちょっと脂っぽくて、顔色も良いとは言えず…過不足の無い34歳の女のリアリティにヒィィィと声が出たわ。あの顔が出てきた瞬間、この映画はアタリだなって思いました。ナンシーは人物としてとても魅力的なんだけど、恋愛どころか人付き合いそのものが苦手なんだろうなーって振る舞いが随所に出てくる。自分の髪の毛で歯のフロスをする、トイレの芳香スプレーで脇の下の消臭をする、冷たいグラスを触って手が濡れているのを「これオシッコじゃないわよ」と初対面の人に言うetc。そんな女が…! 終盤に差し掛かる頃には、アッと驚くほど可愛く見えてくる。要は素直になっていくんですな。ヨシくんがよく「最初はピンとこなかったヒロインが物語が終わる頃には大好きな可愛い女の子に見えてくる」のが良いラブコメの条件って言っていたけど、それを目の当たりにしたわ。

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコの画像_2
高橋:普通に「あれ? ナンシーってこんなに素敵だったっけ?」って思うよね。そういった意味では、妙なリアリティがありながらも実は割と王道的なラブコメの魅力を持った映画といえるかもしれない。さっき触れたオープニング含め、ナンシーが鏡と向き合って自分と対峙するシーンが多いことが生々しさに拍車をかけているところもあるんだろうな。彼女が鏡をのぞくたび、なんだか自分自身の生き方も省みてしまうというか(笑)。 スー:20代後半〜30代後半の女は何がなんでも観てくれ! って作品。身に覚えのある人が結構いるだろうから。本人は客観的な視点を持つ大人になっているつもりだけど、端から見たら保身が過ぎるただの冷笑主義者なんだよね。とにかく傷付きたくない。「おとぎ話なんてないわよ」って冷笑することで、いろいろなチャンスを失ってしまう女性のリアリティが貫かれてます。 高橋:ナンシー、自己分析ばかりしちゃうって自嘲気味に主人公がこういう不器用で冷笑主義的なキャラクターだと、普段ラブコメアレルギーの強い人でも抵抗なくストーリーに入り込めるんじゃないかな。そのへんはサイモン・ペッグが製作総指揮に一枚噛んでるからこそのバランス感覚なのかもしれないね。それでも序盤のナンシーのいちいちの言動はひどすぎるんだけどさ。自分の髪の毛で歯のフロスとか、もうボンクラにもほどがあるって感じ(笑)。 スー:そう。本人は無自覚だけど、あれワザとなのよね。打ち出しをワザとひどくしてるのよ、本人が。 高橋:そんなナンシーも物語が進行していくにつれてどんどん魅力的になっていって、最後には勇気を振り絞って一歩踏み出すわけだからね。自分の髪の毛で歯のフロスをしていたような人間をそこまで違和感なくもっていく手腕はホント鮮やか。繰り返しになるようだけど、「マンハッタンのオフィス街を舞台にしたラブコメにはいまいち乗り切れない」なんて人もこれなら信じてみようと思えるかもね。 スー:マンハッタンの摩天楼って、おとぎ話だもんね。私は大好きだけど、苦手な人にはノイズになるのもわかる。でも、これは大丈夫。 設定や場面よりも、登場人物のキャラがどれもユニークで…。超ヤバい幼馴染とか出てくるし。 高橋:そんなこととも関係しているのかもしれないけど、あそこが胸キュンだったとか甘酸っぱかったとか、そういうシーンはピックアップしにくい映画かもしれないね。ナンシーとジャックがボウリングを通じて距離を縮めていく場面はめっちゃラブコメ的だったけど。 スー:素敵なシーンはたくさんあるんだけど、そこに頼った作りになってないんだよね。たとえば、以前紹介した『ワタシが私を見つけるまで』(2016年)には大きなクリスマスツリーがパアって目の前に広がるシーンが出てきてたじゃない? あれは設定の魅力に頼ったシーン。「みんなうっとりしてください」っていうね。そういうのがこの作品にはない。
ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコの画像_3

昔の恋人への未練を断ち切ることはできる!?

——リアリティのある映画とのことですが、提唱してきたラブコメ的な要素はいかがでしょう?

スー:それはそれでしっかり押さえているんですよ。たとえば、ナンシーとジャックの会話。とある映画のセリフが混じってるんだけど、それでお互いの共通の趣味を発見したり。その手法でグッと距離が縮まるのは非常にラブコメ映画的。むしろ手垢付きまくりなやり方。ヨシくんがピックアップしたボウリングのシーンも笑顔とじゃれ合いに溢れてて、ラブコメ映画によくある「とにかくひたすら幸せなだけの時間」もちゃんと担保されている。でも、ナンシーが死ぬほど恋に臆病になっちゃってるからさ、「もしかして…このまま…二人は…」って希望の灯が、いいところでシュッと消されるのよね。そこもリアルだなと思いました。

高橋:あと、これって基本的には『アメリカン・グラフィティ』(1974年)みたいなある一晩のお話なんだよね。人生なんてたった一夜で変わるかもしれないんだっていう、リアルなタッチの中にたらしたひと匙のロマンスがこの映画をものすごくチャーミングにしていると思う。

スー:物語が始まるきっかけづくりが秀逸よね。「夢も希望もないネガティブ女」のナンシーと、「夢と希望に満ち溢れたポジティブ女」のジェシカ(オフィリア・ラヴィボンド)が同じ電車で向かい合わせに座る。二人が意気投合するわけでもない。だけど、ジェシカの愛読書がキーアイテムになってまさかの展開になるわけじゃない? しかも自己啓発本!

高橋:ジェシカには完全にしてやられたよねぇ。映画『のど自慢』(1999年)の「TOMORROW」じゃないけどさ、生きてると時として自己啓発本的なメッセージに背中を押してもらわなくちゃいけないこともあるんだよ(笑)。あのクライマックスのカタルシスは「だからラブコメは最高なんだよ!」って快哉を叫びたくなるね。スーさんの「ラブコメ映画を楽しめるようになると性善説を信じられるようになる」という名言を改めて噛み締めましたよ(笑)。

——あと、主役の二人は本当に最高でした!

スー:ひたすら愛おしいですよ。ブラインドデートしてるくせに、二人とも「新しい恋愛恐怖症」だから。過去に傷を負って、ナンシーもジャックも人生に疲れちゃってる。二人ともこれまでベストを尽くしてやれることはやってきたんだろうけど、それでもうまくいかないことってあるじゃない? だからこそ冷笑主義的になってるわけで。アラサー以上なら、ナンシーにもジャックにも共感する人は多いと思う。ナンシーの不器用さばかりが最初はクローズアップされるけど、ジャックも然りなんだよね。ナンシーに調子よく喋り続ける場面があるけど、あの過剰な喋りは防衛本能。ジャックには抜けないトゲがあったんだ、とあとからわかる仕組み。それがバレた時のジャックといったら! 一瞬で立場が逆転してコミカルでした。とにかく二人とも大人なのに子どもなんだよね。こんなに人間臭いラブコメ映画もなかなかないかも。

ジェーン・スー×高橋芳朗愛と教養のラブコの画像_4
高橋:イギリスが舞台の映画独特のグレーなトーンと映画自体のペシミスティックなムードも相まって、申し訳ないけど華がある映画とは言い難い。でもだからこそ、純ラブコメ的な演出が映えるし嫌味にならないんだろうね。このあたりのバランスは本当に絶妙。 スー:ホント、奇跡のバランス。恋愛でひどく傷付いたことがある人なら誰でも「あうー」ってなる場面があるはず。私は後半の「君は結局、高みの見物で批判ばかり」「批判じゃなくて持論なのよ!」「でも、自分で勝負しないじゃないか」って二人のやりとりに「ああ、耳が痛い…」ってなりました。 高橋:耳が痛いといえば、元妻に未練たらたらなジャックにナンシーが突きつけるセリフが強烈だったな。あれ、やばくない? スー:私にもすごく響いた! ナンシーのセリフ「あなたは“あの人”に未練があるんじゃなくて“フィーリング”に対しての未練があるんだ」と。愛情って訳されていたけど、愛情というか「気持ち」かな。相手そのものへの未練ではなく、「愛し合っていた二人が共有していた気持ち」に対する未練。幸せだった空間とかさ。「わかる!」って全力で頷いたわ。 高橋:このナンシーのセリフ、タイムマシンに乗り込んで25歳のころの自分に届けたい(笑)。そうなんだよね、相手じゃなくて「気持ち」に対する未練なんだよ。好きだった人の未練を断ち切れなくて苦しんでる人は、この視点を与えられるだけでちょっとは楽になれるんじゃないかな? スー:失恋してくよくよしている人に言ってあげたいわ。 高橋:うん、失恋したときに力になってくれるラブコメとしても強くおすすめしたい!

『マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり』

監督:ベン・パーマー
出演:サイモン・ペグ、レイク・ベル、ロリー・キニア、オフィリア・ラヴィボンド
初公開:2015年7月30日
製作:イギリス・フランス合作

Photos:AFLO

ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。作詞家、ラジオパーソナリティ、コラムニスト。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月曜~金曜 11:00~13:00)でパーソナリティーを務める。近著に「私がオバさんになったよ」(幻冬舎)。

高橋芳朗

東京都港区出身。音楽ジャーナリスト、ラジオパーソナリティ、選曲家。「ジェーン・スー 生活は踊る」の選曲・音楽コラム担当。マイケル・ジャクソンから星野源まで数々のライナーノーツを手掛ける。近著に「生活が踊る歌」(駒草出版)。

RECOMMENDED