感情に寄り添うだけの誤情報が
大規模拡散される時代

 二〇二一年、東京五輪開会式の音楽を担当する予定だった小山田圭吾が、開会式直前に辞任した。10代のころの「いじめ」行為を一九九〇年代に雑誌で武勇伝として語った、とされたのだ。小山田はキャンセルカルチャーの犠牲となり、国際的媒体にも取り上げられた。音楽を担当していたTV番組まで打ち切られた。


 本書はこの件をインフォデミック=〈今日のメディア環境下で促進される誤情報や偽情報の大規模な拡散〉の重大な例として読み解く。著者は、〈侵害された集合感情を回復するための社会的反応が、しばしばいじめと相似的な、不当な非難と攻撃に道を開いてしまうこと〉を憂慮する。「人文学」の使命を果たした本だ。


 小山田が「いじめ」を語った記事として、ウェブ上では《Rockin’ on Japan》と《Quick Japan》の記事が典拠とされてきた。両記事における編集者・ライター側の誘導・プロデュース意図と、取材対象である小山田との発言意図との齟齬を、著者は叮嚀に炙り出し、より古い《月刊カドカワ》での発言などを補助線に読み解いていく。


 本書が述べるとおり〈学校で、弱い立場の生徒を肉体的または精神的に痛めつけること〉(『広辞苑』第四版)をさす名詞「いじめ」は、一九八〇年代半ばまで一般的でなかった。複雑な多面的関係を加害者・被害者の単純な二項対立物語に落としこむ作用は「ハラスメント」の語と共通。僕も過去その手の図式をなぞったことがなかったと言えない。適用範囲が伸縮する語で感情的図式に還元することを、自戒をこめて「寄り添いポルノ」と呼びたいほどだ。キャンセルの直接の契機となった毎日新聞の記事は、ウェブに流通する不正確な引用や解釈をトレースした杜撰なものだった。濡衣で、ひとりの人間の未来を取り返しのつかない形で毀損しても、記者は謝罪しない。


 小山田本人の迂闊さ、ROJ・QJ両誌の記事担当者の牽強附会、ブロガーやサイト管理人の正義の執行者気取り、眉を顰めて糾弾したSNSアカウントの無責任さ、いずれも淡々と指摘される。一方的に断罪しないその語調の自制に著者の責任感が宿る。


BOOK

『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 
現代の災い「インフォデミック」を考える』

片岡大右著
集英社新書 ¥1,078

片岡大右は1974年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。専門は社会思想史・フランス文学。著書『隠遁者、野生人、蛮人 反文明的形象の系譜と近代』(知泉書館)、共著『古井由吉 文学の奇蹟』(河出書房新社)、『加藤周一を21世紀に引き継ぐために』(水声社)、訳書にグレーバー『民主主義の非西洋起源について』(以文社)など。


千野帽子
文筆家、俳人。パリ第4大学博士課程修了。専攻は小説理論。著書に『物語は人生を救うのか』(ちくまプリマー新書)、共著に『東京マッハ』(晶文社)などがある。


Photo:Mai Shinya

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