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『リコリス・ピザ』

監督・脚本・撮影/ポール・トーマス・アンダーソン
出演/アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン
7月1日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
© 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

『リコリス・ピザ』|陰鬱な天才監督の転向か?  いい映画になぜかドキドキしてしまう

数々の映画賞に輝いてきた天才ポール・トーマス・アンダーソンが、彼の作品の常連だった故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子クーパー・ホフマンを主演に起用して撮り上げた心温まる一編。ヒロインはバンド、ハイムのメンバー、アラナ・ハイム。ショーン・ペンやトム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパーらくせ者俳優陣が演じる大人たちもとても優しい世界観。


陰鬱な天才監督の転向か?
いい映画になぜかドキドキしてしまう

 1970年代、ハリウッド近郊。男子高校生と、年上の女性フォトグラファーアシスタントの接近とすれ違いを描いたこの映画、めちゃくちゃいい。ラブコメというより青春映画で音楽のセンスもよく文句なしの出来。主人公たちの面構えが美男美女ではなくリアルで、いわゆるハリウッドエンディングでもなく力の抜けた、あざとさのないハートウォーミングな映画です。



 しかし監督がポール・トーマス・アンダーソンなのでいろいろ考えてしまいます。アンダーソンと言えば『マグノリア』『パンチドランク・ラブ』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』ととにかく暗い映画を撮ってきた天才監督。探偵もの『インヒアレント・ヴァイス』では初期の『ブギーナイツ』のような勢いに戻るかと期待しましたが、やはり鬱々としていた。もちろんアンダーソンの才能は誰もが認めざるを得ない。アメリカの純文学のようなもので、合衆国特有の闇を見事に描き出してきた。そんな彼が、こんなにも愛すべき映画を撮るとは! 『ブギーナイツ』よりはるかに明るく、いい意味でなんの引っかかりもなく、心地よく終わります。



 そこで思い出したのが『ビーチ・バム まじめに不真面目』。アンダーソンよりも露骨に難解で救いのない映画ばかり撮ってきたもう一人の天才監督ハーモニー・コリンが撮った憎めない一作。これは彼が50歳目前で、人生を楽しく生きることにした“転向”だと感じました。アンダーソンは今年52歳。となると、ハーモニー・コリンと同様、今作も老いによる心のバリエーションの一つなのではないか。



 厭世的で複雑な文学性をもった作品が好きな人たちは、天才の大暴れを追いかけているので、『ビーチ・バム〜』にも戸惑った。でも“転向”もいいと思う。むしろ、ホッとした映画ファンもいるでしょう。しかしアンダーソンはというと、次回作でまた暗い映画を撮るかもしれない雰囲気があって、どこかハラハラします。このまま『リコリス・ピザ2』みたいな映画を撮ってほしいのですが、全然安心できない。



 いずれにせよ時代の転換点を感じます。いまアメリカは状況がどん底だから暗い映画は求められていない。『リコリス・ピザ』と『ビーチ・バム〜』には映画史的な連動もきっとある。まずは世界の状況がよくなるといいですね。(談)


菊地成孔
音楽家、文筆家、音楽講師。最新情報は「ビュロー菊地チャンネル」にて。
ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi



Text:Toji Aida

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