レクサスとエアレースの世界的パイロット・室屋義秀との出会いによって活動をスタートした「LEXUS PATHFINDER AIR RACING(以下、LPAR)」。現在、LPARは新時代の空のモータースポーツとして注目を集める「AIR RACE X」に参戦している。AIR RACE Xは、世界最高峰のパイロットたちが最高時速400km・最大12Gという極限環境下で飛行精度とスピードを競い合うもので、2023年に渋谷を舞台に初開催され、LPARは初代勝者に輝き、2年目となる24年は全3レースを戦って初代シリーズチャンピオンを獲得した。
スマホを空にかざして楽しむ新しいレース観戦
そして、シリーズ連覇に挑む25年大会は、世界7か国から8名のトップパイロットが参戦し、全3レースにわたって戦いが繰り広げられた。室屋義秀は初戦を2位、ラウンド2を優勝で終え、この時点でランキング1位に。しかし2位のパトリック・デビッドソン (南アフリカ)とはわずかな差しかなく、3位のアーロン・デリュー(オーストラリア)もまだ逆転の可能性はあるという状況下で、年間王者のタイトルは大阪で行われる最終戦であるラウンド3で決まることとなった。
決戦の日は9月6日。会場となった「グラングリーン大阪」と「グランフロント大阪」には多くの観戦者が集まった。AIR RACE Xの最大の特徴は、最先端テクノロジーを活用した競技フォーマットと観戦スタイルにある。選手たちは世界中の拠点で実際にフライトし、機体に搭載された専用センサーにより誤差わずか3cmという超高精度の飛行データを計測・収集。そのデータをもとに、都市空間にAR(拡張現実)で“空飛ぶレース機”が生成され、観客はスマートフォンやタブレット越しに大阪の街並みを駆け抜けるレース機を観戦する。
予選から戦いは白熱し、アーロンが1位、室屋が2位、パトリックが3位で通過。そして、決勝トーナメントの準決勝でパトリックとの直接対決が実現する。ここで室屋が勝てば年間王者を獲得するという運命の戦いを観客は固唾を飲んで見守った。レースは室屋が先行する展開だったが、終盤でパトリックが逆転し、わずか0.43秒差という大接戦でパトリックが勝利。事実上の決勝戦ともいえる戦いに会場は盛り上がった。
3位決定戦にまわった室屋はマルティン・ソンカ(チェコ)と対戦。序盤から圧倒的なリードを築き、結果は快勝。パトリックが決勝で敗れればポイント差で室屋が逃げ切る可能性を残す展開となった。しかし、パトリックは強かった。アーロンとの決勝戦を制し、シリーズチャンピオンの栄冠はパトリックの頭上に輝いた。室屋は総合2位となり、シリーズ連覇を狙っていたチームとしては悔しい結果になった。
「技術面では非常に進化して、極めていい進歩を遂げていました。チームとしての結束やモチベーションはとても高かった。技術づくり、人づくりという2つの大きな目標がある中で、そこはうまく回ったかと思っています。その中で強いライバルが出てきて、当然勝つつもりでやってきましたが、勝負事である以上、何が起きるかはわかりません。来シーズンに向けて、技術開発は引き続き進めていきますし、僕自身もパイロットとしてトレーニングを進めていきます。安定して飛ぶための技術とか、勝つためにはもう一段進化する必要がある。決して望んだ結果ではないですが、負けたことは次のためには非常に大きな刺激になります。勝つとあまり振り返らないですから。LPARの真価を発揮するのはここからだと思っています」(室屋)
「悔しい、非常に悔しいです」
LPARのテクニカルコーディネーターとして、レース機の開発全般を主導する中江雄亮は開口一番、そう話した。
「技術を志す者の集団としては、1位を取りにいく意識でいるので、やっぱり1位が欲しかったです。楽勝とはまったく思っていなかったですが、特に25年はいつも以上に急ピッチで新しい技術の投入を仕掛けていましたし、初のシリーズ連覇がかかっていたので、それが取れなかったというのはとても悔しいです。ただ、各部門のリーダーたちと話をしたら、『こういうときがあっていいんじゃない。自分たちが気づけていなかったことに気づくチャンスだよ』と言っていて、強いなあと思いました。いちばん弱いのは僕でした(笑)。負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、実はコースレコードは我々が叩き出しているんです。60秒ですからね。決勝のパトリックとアーロンは63秒台。そういう意味では自信につながりました」(中江)
エンジニアが一丸となって取り組んだ改良点
24年シーズンを制した後、LPARは「毎年1%ずつ速く」という目標のもと、オフシーズンも機体の改良を積み重ねてきた。具体的には、尾輪の小型化、エンジンセンサーの搭載、ウイングレットの形状変更だ。
レース機には前方に2つの主輪と、垂直尾翼の下に1つの尾輪がある。これで機体を支え、滑走路を走るときはタイヤの役割を果たすのだが、旧型は尾輪が大きく、空気抵抗を考えると小型化は明らかに必要であった。尾輪づくりを担当した平谷敏彦は開発の経緯をこう説明する。
「小型化はやったほうがいいことはわかっていました。と同時に、飛行中に車輪の首がぐるぐる動く問題も解決する必要がありました。地上を走っているときは回転してくれないとダメなんですけど、飛行中は動くとそのぶん空気抵抗を受けるので、ピタっと固定したい。1000分の1秒を縮めるレースでは、ほんの少しでも空気抵抗を減らしたほうがいい。そのためにはどうしたらいいかを考えて、たどり着いたのが風見安定でした。風見安定というのは風見鶏がつねに風上を向くことと同じ原理で、空気の力を利用して姿勢を安定させます。これによって飛行中は尾輪が固定された状態になり、結果的に空気抵抗が減って、機体の効率性を高めることになりました。室屋さんは『いい感じだよ』とは言ってくれていますが、これがベストかというとそうではなくて、バージョンアップは必要です。いちばん空気抵抗が減らせる形状とはどういうものか、まだまだ改良の余地はあると思っています」(平谷)
電子制御による燃料噴射が一般的となった現代の自動車とは異なり、機械式インジェクターを採用するエアレースの機体は、飛び立った後にパイロットが上空で高度や気温、気圧などに合わせて燃料を最適な濃さに調整する作業が発生していた。当然、環境や天候によってセッティングは変わり、今まではそれを経験に基づいてやっていたが、LPARの計測チームはこのアナログ制御のエンジンの状態を目視で確認できるように各種センサーを搭載し、瞬時にベストなエンジンセッティングができるようにした。
「室屋さんからリクエストされていたのは、常に最大のトルクを使って飛行したいということでした。そのためにはエンジンの状態を可視化する必要がある。ただ、AIR RACE Xのレギュレーションでエンジン本体に手は加えられない。そこで考えたのは、直接的にトルクは測れないけれど、AとBを合わせたら計測できるというやり方です。エンジンに取り入れる空気に対して燃料の比率を調整するバルブがあるのですが、そのバルブの位置を検出するセンサーを今回取り付けて、どういうときにいちばん高いトルクが出るかを測るようにしました」
そう語るのは、センサーの開発に携わった前田隆大。実際に使えるようになるまで4年かかったという。
「センシングの分野は自動車のほうが進んでいるところもあり、開発現場でも便利で高性能な計測器がいっぱいあります。ただ、そういうものを使ってもなかなか計測ができないことがあって、そんなときは自分たちで計測機やセンサーをつくることもある。今回はまさにそのケースでした。エアレースの世界は1/1000コンマ何秒を争うので、本当に細かいところを正しく計測しないといけない。測るものは世の中にいっぱいあって、何かつければデータが出てきます。けれど、それが本当の値を示しているかがいちばんのポイントです。いろいろと試したのですが、ノイズが乗って数字が読めないことや、耐久性とか耐熱性とか耐振動性とかクリアしないといけない問題がたくさんあって、なかなかうまく使えなくて。結果が出せずにつらい思いをしていました」(前田)
レクサスの最新のセンシング技術を持ち込むことで、エンジン各部の状態をリアルタイムに目視で把握できるようになり、最適なセッティングに素早く合わせられるようになった結果、安定してパワーが出せるだけでなく、空のコンディションの変化にもすぐに対応できるようになった。パイロットの負担は明らかに減った。
「室屋さんが理想とするフライトをしてもらうのが我々の仕事です。そのためにはセッティングにかかる労力を減らし、100%操縦に集中できるシステムをつくる。室屋さんからは『ものすごくラク』になったと言ってもらいましたが、もっと精度を上げていきたいと思っています」(前田)
ウイングレットは主翼端に取りつけられる小さな翼端板のこと。これにより翼端附近の空気の流れを整流し、空気抵抗を減らす効果がある。さらに、AIR RACE Xはターンも多いため、空気抵抗だけでなく機動性も重要になる。空気抵抗を今まで以上に小さくし、機体スピードをより速くするために、新形状のカーボン製のウイングレットが開発された。リーダーの長瀬雅人は言う。
「ウイングレット自体をつくるのが初めてでしたし、レース用の部品ということもあって設計に忠実にモノづくりしないと機能が発揮されませんでした。なので、その大本になる型というのをしっかりつくり込むところが苦労しました。模型をつくって風洞実験を重ね、25年中に実戦で投入する予定だったのですが、初戦が2位という結果に終わったため、急遽前倒しで投入することになりました」(長瀬)
従来のタイプに比べ空力を改善し、ウェットカーボンからドライカーボンに素材を変えたことで、軽量化を実現した新型のウイングレットを投入して臨んだラウンド2は、素晴らしいタイムでライバルを圧倒して見事優勝を決めた。
「勝因はウイングレットだけとか、エンジンセンサーだけとか、尾輪だけということはまったくないと思います。センサーであれば1000分の1単位の数値が取れたことでエンジンパワーがいちばんいい状態で出せるようになった。尾輪は飛んでいる間は空気抵抗になってしまうところなので、そこを改良して空気抵抗を極力減らすことができた。そして、ウイングレットは空気の流れを整えることで最高速がちょっと速くなった。それぞれ機能が違って、ひとつひとつがベストのかたちを目指して改善した結果が勝利につながったのだと思います」(長瀬)
2021年から活動を続けているLPAR。チームに参加したLEXUSの技術者は100名以上にのぼり、関わるメンバーは活動とともに増え続け、今では率直に意見を交わせる関係になった。普段の仕事だとなかなか成果が見えにくいこともあったりするが、レースだと自分たちの技術で空を飛び、それがタイムや勝負の結果にダイレクトに現れる。モノづくりに対するプライドと喜びがこんなにも感じられる場はないと中江は言う。
「お互いの協創によってサイクルがうまく回り、想像以上の推進力を生まれています。特に最近はチームに若いメンバーも増え、これまで経験したことのない仕事の仕方に触れることで刺激を受け、それが職場の中にも広がっているのを感じます。いろいろと自分の持っている技術を試せる場があって、それが形になっていく過程を経験できるのは人材育成の面でもすごく意味がある。とてもいい流れができていますね」(中江)
2017年より始まった空と陸の画期的な技術交流。レクサスのクルマづくりにLPARチームがより深く入り込むことで、その成果は飛行機だけでなく、クルマの進化にも発展的に及んでいる。
「会場にLC500の 特別仕様車“PINNACLE”がありますが、あのクルマにはウイングレットから着想を得て、空力性能を追求したリヤウイングが採用されています。最近は特別仕様車だけではなく、通常のモデルでもLPARで培った空力の知見を取り入れた開発が行われていますし、LPARでの技術の底上げは確実にレクサスのクルマづくりにも還元され、その流れは今後もっと加速していくでしょう。25年シーズンを終えたばかりなので、まだ整理はついていませんが、日本の高温多湿の環境の中でいかにエンジンパワーを100%引き出せるかという部分は早急に取り組みたいと思っていて、これはより燃費のいいクルマづくりというところにもつながっていくと思います。ソフト面でも、空と陸の技術交流を通じて、モチベーションの高いエンジニアが育ってきているので、それがレクサス全体に波及していけばもっともっとよくなるのでないかなと信じています」(中江)
LPARを立ち上げとき、チームは2つのミッションを掲げた。それはエアレースで勝つこと、そしてエアレースで新技術を創出し、もっといいクルマづくりに繋げること。その成果は着実に実を結んでいる。
「今シーズンはシリーズ連覇を狙っていたので、悔しい結果になりました。ただ、今はチームとしていい循環システムができていて、みんなのモチベーションは高いです。まだまだチームで取り組むことがたくさんありますし、来シーズンも挑戦は続きます。どう進化していくのか、楽しみにしていてください」(室屋)
すでに次の闘いに向かっている室屋とLEXUS。より速く、より強く。来シーズンの開幕が今から楽しみで仕方ない。
1973年生まれ。18歳でグライダー飛行訓練を開始。2009年、レッドブル・エアレース ワールドチャンピオンシップに初のアジア人パイロットとして参戦。17年、ワールドシリーズ全8戦中4大会を制し、アジア人初の年間総合優勝を果たす。2023年には新たにスタートした「AIR RACE X」に参戦し、初代王者に輝く。競技活動の合間をぬって、全国各地でエアショーを行うほか、地元福島の復興支援活動や子どもプロジェクトにも積極的に参画している。
レクサスで数多くの自動車開発に従事。専門は「空力」。チームのテクニカルコーディネーターとして、空力についてはもちろん、自動車開発で培った多様な知識と技術を機体開発に投入すべく、開発領域全般の指揮を執っている。また、エアレースで得られた知見をよりよいクルマづくりにフィードバックするミッションにも力を注ぎ、レースチームとレクサスのエンジニアとのパイプ役としてその能力を発揮している。
LEXUS